やさしい人を頼る事

ゆっけです。
某健康推進サプリのお話が連日報道されています。
今起こっていることを元としていつもの如く過去を掘り起こしては攻撃の標的にする格好のストレス発散方法となっていますね。
そんな方たちはきっと今日も新しいマトを探し続けている事でしょう。
貴方様には今や過去を、未来を築く礎として貰いたいものです。

今日は雑談です。
皆様の周りに優しい人はいますでしょうか。
私の周りには沢山います。
では、その人を頼ることは自分にとって利益になりうるのでしょうか。

答えは知りません。モノは投げないでください。
限られた世界しか持たない私を例に少し掘り下げてみます。

私はしばしば「やさしい」と言われます。
何を基準にそう判断しているか甚だ疑問ではありますが、話が進まないので取り敢えずそう仮定します。
また、私はしばしば「つめたい」と言われます。
以下同上

「やさしい」私に頼ることは、貴方にとって利になりうるけれど、「つめたい」私に頼っては損になることすらあり得ます。

ところで、なりうるとなり得る(なりえる)は語感を軸に使い分けています。そのまま読みやすいよう平仮名表記と漢字表記で区別しています。
なるべく正しいとされやすい言葉をメインに使用しますが、流れや読みやすさを考慮したりしていなかったり

逸れました。
勢いがついたのでこのまま脱線します。

私が深夜の某バーガー店でアルバイトをした時のお話。
深夜帯は社員が居らずアルバイトのみで構成されています。
ですのでそこに法規は存在しません。(※します)
喉が乾けばジュースサーバを捻り、お腹が空けばポテトやレタスサンドを作ります。
就業したその日には既に確立していたシステムで、在庫をカウントしない全ての商品はアルバイトがその所有権を持ちます。(※持ちません)
私も例に漏れずその恩恵を充分に受けました。

なお、そこは現在駐車場になっています。

いい加減話を戻します。
「やさしい」私は駐車場に至る要因のひとつであり、冷酷非道な振る舞いであったことが形として表されました。

善悪は兎も角、アルバイターとして優しいコミュ症の地位を確立していた私は、誰に利を与え誰に害を与えたのでしょうか。

膨らみすぎて収拾がつかないのでまとめます。(平常運転)
貴方にとって利になる人が必ずしも総合的な利とはなりません。
出来ることなら、己のみならず最大幸福を目指す行動・意識を持ちたいものです。
という雑談でした。

以上、よろしくお願いします。

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