例えばこんな晴れの日のカミサマが


僕の世界にはカミサマがいる。それは神様でも、仏陀でもキリストでもない。法律や社会規範とは別にある僕自身の行動の善悪を定めている。

例えば、常識では不倫は悪である。不倫相手は法律を用いて罰することも出来るし、結婚している女性と何かあるというのは良くない、と漠然と皆分かっている。でも、法律やその価値観というのはこの数十年、百年程度に生まれたもので、と真っ向から否定する訳では無いけど、僕の世界のカミサマは「好きになって、そういうのも受容した上で付き合っていく覚悟と責任があるならもう仕方ないさ」って僕に語りかけてくれる。
以前書いたノートにもあるように僕は既婚女性と付き合ったことがある。彼女とどのように出会って、どのように終わったのかということよりも彼女との出会いが僕に何を齎したのかということについて僕は今日カミサマという概念をフィルターに通して書こうと思う。

セックスレスの夫婦がいてその理由は夫の多忙や妻の外見的な変化など、いくつかの理由が複雑に絡まりあってる状態だとしよう。物事の原因は得てして単純ではないし、人間関係において発生する問題はよりその傾向が強い。
出産を通して妻に20代の時のような輝きを感じなくなってしまった夫がもう妻を抱こうとしない状態なら妻の浮気は僕のカミサマは仕方ないと判断している。そんな時に、その妻を一人の女性として見ている男性がいればそれはもう関係を持っていいと思う。


誰かにとって価値の無いものでも、また違う誰かにとってはすごく輝いているのならば大切に扱える男性の元に女性は行くべきだと思う。
カミサマがそう言った。

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