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祖母の戦争体験とコロナ禍の違和感

mitsuamiのyokoです。今日はずっと書きたくて、でも先延ばしにしてしまっていたことを書こうと思います。

緊急事態宣言が解除され、少しずつ世の中が動き始めました。けれども「新しい生活様式」というワードが常についてまわり、さまざまなイベントは引き続き自粛、徹底した感染対策が学校や飲食店、商業施設で行われ、マスクをして距離をとることを「マナー」と公言する・・・。コロナ前とはまったく違った日常が広がっています。

違和感、ないですか?

私は、あります。「これ、必要かな?」「ここまでする必要ある?」いつも思ってます。けれどメディアは新しい日常は当然であるかのように扱い、暑い日でも過ごせる快適なマスク、安全でリーズナブルなアクリル板、リモート○○、おうち○○、、、こちらに考える隙も与えない勢いで次から次へと情報を流し込んでくる。もはやこの流れに乗れないのは恥ずかしいことだ、批判はただの我儘だ、と言わんばかりに。

正直この状況に流されたほうが楽かもしれない、と思うときもあります。

でも、そんなときにいつも祖母の記憶が蘇るのです。

祖母の戦争体験談

昭和のはじめに生まれた祖母は、優等生を貫き、師範学校を出て当時の女性としては珍しい数学の教師として生涯を教育に捧げ、数年前に亡くなりました。私の覚えている祖母は、聡明で穏やかでオシャレで、家事も仕事もきっちりこなし、山陰の田舎町ではあるけれど町を歩けば「先生」「先生」と必ず声を掛けられる、とにかく「立派な」人でした。

私が小学生の頃、そんな祖母から「戦争体験」を聞く機会がありました。私の学校の宿題だったのかもしれません。自らあまり語ることのなかった祖母ですが、ぽつりぽつりと話してくれた内容が「竹槍で敵と戦う訓練をした」というもの。その時の私は率直に祖母に質問しました。「ええ~??そんなの意味ないって思わんかったん?」と。そのときの祖母の答えは

「そうねえ…。必死だったんだもん。」

その時の衝撃は忘れられません。こんなに理性的な祖母が、戦闘機に竹槍で立ち向かう訓練を大真面目でしていたなんて。戦時中の民衆の心理状態とは、なんて恐ろしいんだろう。

同時に、軽々しく、ともすると少し馬鹿にする気持ちで当時の状況を思い浮かべ質問した自分を、少し恥じました。何もわかっていない自分が、戦争をただ「くだらない」とはき捨てるのはあまりに傲慢な態度であったと。

私の中で「戦争」の恐ろしさが一気に生々しいものに変わった経験です。

その経験もあって、私は非常時に意識的に冷静になるようになったのかもしれません。何か大きな災害や事件が起こったとき、恐ろしいのはその被害そのものではない。被害によって人々がパニックになったり思考停止してしまうことだと思っています。前者は私たちの力では止められない。けれど後者は私たちが事態を拡大させてしまい最悪の結果につながってしまう危険性すらあるのです。

違和感を、大切に。

「違和感」を声に出すことは、身勝手でも我儘でもありません。一人一人が感じる「違和感」にフタをし大きな流れに身を任せていくことは、人が人らしく生きることを諦めていることに他なりません。

「新しい生活様式」そのものを否定するつもりはありません。ただ、「新しい」という言葉でこれまで大事にしてきたものを何でもかんでも簡単に捨て去っていいのかどうか?それは本当に必要なこと?それこそ不要不急の変化では?

一旦立ち止まり、考えていくことが大切だと思うのです。


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