見出し画像

「やらない善よりやる偽善」と「放置子」

こんばんは、mitsuamiのyokoです。昨日「ことなかれ」宣言して、一旦コロナについて考えることを止めてみたところ・・・本日のテーマは表題となりました。重!

「やらない善よりやる偽善」

今年も24時間テレビ放送するらしいですね。先に言っておくと私はこの番組、子どもの頃に少し見て以来ほぼ見てません。はい、嫌いです。なぜ嫌いかはテーマから外れるのでここでは書きませんが、この番組について議論されるときによく使われる言葉が「やらない善よりやる偽善」。「こんなの偽善だろ」って言って何もしないより、とにかく1円でも寄付したほうが結果的に誰かの役に立つんだから良いじゃない、という意味かなと理解していますが、、結構深いですよね。

そして、この言葉を反芻することになる出来事が最近起こりました。

それは休校期間中から始まった―

休校中、子どもの同級生が一人で公園で過ごしていました。犬の散歩でたまたま公園に行った我が家。我が子は久々の友達とのふれあいに喜び、相手の子もそれ以降私たちが公園にやってくるのを心待ちにしているようでした。

ところが、暑くなってきたため18時頃に犬の散歩に出るようになったのですが、その子は学校再開後もやはりいつも公園で待っているのです。

「もう6時過ぎてるよ?帰らなくていいの?」と聞くと「うちは門限ないから」と言って、平気で19時になっても遊んでる。何とか帰るよう促すと、今度は家までついてくる。休校中は公園で出会ったよその善良なおばちゃんが心配して自宅にあげてくれたりもしていたけれど、最近そこのマンションでトラブルを起こし、行き場がない様子。ここ2~3週間でインターホン押して散歩催促してきたり、家の前で出待ちされるようになりました。

学校に報告

親御さんとは面識もなく、どう伝えたらいいものか難しい。児童相談所に通報はやりすぎな気がするし…など迷った結果、学校に状況を伝えました。日が長いとは言え遅くまで子どもだけで過ごし、よそでトラブルも起こしているようです、と。先生、真摯に対応してくださいました。

しかし数日後。またインターホン鳴る(17時半)。

「なんか先生に注意されたんだけど、ママが『日が長いうちにいっぱい遊んだほうがいい。先生の言うことは間違ってる』って。だし、子どもだけじゃダメみたいだけど、大人いるからいいんだよ。」

えっ・・・大人って、ワタシのことかな??

「放置子」

そして今日、このワードを検索するに至ったのです。

するとそこには衝撃の文字の数々が。予測関連ワードが「うざい」「撃退」「しつこい」などなど・・・世間の闇を見た気分でした。虐待やネグレクトがメディアでさんざん騒がれているのに、そして事件が起きた後に必ず皆が口を揃えて「何かできることはなかったのだろうか…」とコメントするのに、検索ワードから聞こえる心の声は「頼むから、ウチには迷惑かけないでね」。

でも、そしたら私はどうなんだ?現に今、身近な子どもが私を頼ってきているのに、正直これ以上は責任持てない、来られても困る、なんとかできないか・・・そう負担に感じて検索したんだよね?

休校中の独りぼっちの姿を不憫に思って優しく接していたら、その子は私に執着するようになった。そうなってみて初めて、私はその子を受け容れるキャパがないことを思い知った。救いの手を差し伸べてきた大人がある日急にその手を引っ込めたら、その子はどれだけ傷つくだろう。

「やる偽善」のもつ危険性

ここで言っておきたいのは、「面倒見切れないなら最初から関わるな」という結論にはしたくないということ。私は間違ったことをしたとは思いません。ただ、事態を甘く見ていたことを反省しています。

「いいこと」だからとりあえずやろう、は半分正解で半分間違いだと思うのです。行動することは大事だけれど、最初に「いいこと」と思ったことが意外とそうではなかったとき、むしろ悪い結果につながってしまったとき、その責任まで負って、初めて「やる偽善」が成立するのではないかと。そしてその試行錯誤の繰り返しが、いつか「善」になっていくのかもしれません。

・・・やばい、考えが止まらない。

ちなみに現在の状況としては、夕方に学校の先生に再び相談させてもらい、『私から門限を伝え、今後は線引きをする。世間の常識を私から伝える。』という方向で進めていくことになりました。(学校からその子のご家庭にこの件について報告はできても、門限などの要望はできないとのこと。やむを得ないことだと思います。。)

長くなってしまいました。うまくまとめられませんでしたが、今回はこのあたりで。この件に関して、良い報告がいつかできればと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?