MY OWN STORY #1
仕事がない!!
大企業会社員、定年まで絶対に安定したポジションのはずが、
いきなりの年収大幅ダウン・・・。
月のほとんどが自宅での仕事。
「どうしよう、大丈夫かなぁ、私たち・・・」
「そのうち戻るよ、大企業は潰れない・・」
周囲から聞こえるさまざまな声に耳を傾けながら、
不本意にもチャンス!!
・・と動きだした私。
すぐに事業内容を書いた用紙を人事部に提出。
そう、個人事業主として副業を行うため。
一番乗りだった。
こんな私に誰がした??
コロナ・・・
見えない敵に大企業でさえもあたふたしている。
絶対に副業が許可されると確信があった。
そしてやっと昨年末副業が受理された。
副業をしたいのは、年収が減ったからではない。
ずっと思い描いていた
「私の価値を必要な人に届ける仕事」
そんな仕事、本当に心震える仕事がしたい・・・。
「お役目を果たす」時が訪れた!と感じた瞬間。
今までの私の苦しみは、この使命に気が付くきっかけを与えてくれた財産。
そう思うと今までの苦労が愛おしく感じられるようになった。
強くて、優しくて、しなやかに・・・!
どんな形にも寄り添える私を作りだした過去が、
未来を切り開くエネルギーに変わるなんて思ってもみなかった。
ずっと苦しんできた悩みを武器に変え、
同じような思いを持っている人たち、
前に進みたくても進めない女性たち、(いや男性も・・)
何もできることはないと勝手に決め付けている人たちの
能力を、価値を、もっともっと掘り起こして
世間に還元できるように形にできたらどんなにいいだろう。
いや、たとえ無形なものでもその人が光に向かって歩めたら、
そんな人が増やせたらどんなに世界が輝くだろう、
小さな存在かもしれないけれど、そんな人を増やしたい!!
そう、心から願っていたことを実現できるときが来た。
その一歩を私も歩み始めた。
遡ること◯十年前、
普通のサラリーマン家庭で育った私、
男尊女卑の父の下で「女は大学なんか行かなくていい」という
環境のなか、国立大学を目指すしかなく進学校で学ぶ日々。
しかし、結果は・・・
そりゃそうです。
大学よりも早く親のもとを離れて自分の力で生きたかった。
(長女魂が働き、あとに続く妹たちもいる、お金は使えない。
高校時代も一番安い通学ルートを選んで通うような子供だった)
異常に心配性の母を苦しめたくなくて、
子供の頃から親には相談せず、すべて自分で道を選択していた。
浪人中のある日、たまたま見つけた新聞の求人広告
これだ!!!と思いすぐに行動。
それからは、今までやったこともない猛勉強と
社会人としてのマナーを学ぶ日々。
一発合格
運が私に味方しました。(200倍の競争率)
よくこんな小娘が・・・😅
これで家を出られる!!自立できる。
なんの寂しさもなく上京。
研修は苦しかったけれど、もっと苦しかったのは
現場での女性の世界だった。
高校では男子生徒が多く、女性だけの世界を経験したことがなく
独特の共感性についていけなかった。
プロとして徹底してこだわる私は自己啓発にも時間を要し
自分に厳しくスキルや接遇マインドを磨いていったが、
みんなが皆んなそんなタイプではなかった。
いや、むしろ私のようなタイプが珍しかった。
20代後半までは優等生として全ての仕事をクリアーし、
部下の年間目標設定、その達成サポートから労務に至るまで
あらゆる仕事をこなした。
人情はあり、愛情は深いタイプだがとにかく厳しかった。
仕事をしない人が大嫌いだった。
そんなとき、転機が訪れた。
上司の推薦で花形と言われる本社の広報部への異動が決まった。
でもここから私の会社人生のキャリアが転がり落ち始めた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?