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mitsのプロフィール|現在7本総計26691文字でプロフ

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【プロフ-*】成功の2周回目を読んでいいただくのに、1周回で何があったのか?その成功とやらをセミの地上での羽ばたきと喩えるならば、その前夜、夜明け前は「蝉にとっての土の中」そんな…
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【プロフ-2】プルデンシャルにいた長塚さん/セミは土の中で7年②

僕が起業直前にいた、プルデンシャル生命という生命保険会社でライフプランナーという仕事をしていたときに入社年次で数年、年齢も5歳以内くらい上の先輩に「長塚さん(実名)」がいた。 まるっこいめがねでオシャレな出で立ち(プルはずっといると大体最低限オシャレになっていく)で、支社での一人しかそんな人はいないってくらい独特で、サスペンダーがトレードマークだった。先輩の口癖は 「そこに正座しとけ」と関西弁で。売れなくてめっちゃ悩んでいる後輩は、支社50人>営業所10人の近い10人くら

中村天風の成功の実現から感情と人生のコントロール

何歳の時だろう。中村天風さんの『成功の実現』に傾倒していた。今も習慣としてや、在り方の基本になっていることがいくつもありそうです。「そうです」というのは、もう、身体化してしまっているので何を取り入れているかもわからなくなっているからです。 2つは覚えています。一つはクンバハカ、もう一つが三忽三行です。クンバハカは早い話肛門を閉める、ケツをぐっと閉める下腹部というか丹田に力を入れる(正確には力を入れるのではない、込めるかな)三忽三行は「恐れず、怒らず、悲しまず」「正直、親切、

【プロフ-4】肉体労働で学んだのは「若いことのみが価値」なのか?

大学1年の時、入り浸っていた川崎の「はらっぱ」。はらっぱ?=日雇い労働者が仕事をもらいに行くところを言います。横浜だと寿町、東京だと山谷、聞いたこと・(活字で)見たことありますかね? 子供の頃から、今も横浜在住で横浜LOVE。何をするにも遊びに行くのも、渋谷や新宿よりも横浜なので「川崎」には行かないんですね。 その僕が「たまたま」友達が知っていて連れて行ってくれて「はまった」のが、あまり行かない「川崎」。たまたま、偶有性、人生の面白さ。 何に「はまった」かというと「はらっ

【プロフ-5】ナニワ金融道な会社に就職〜金先物取引編-1/セミは土の中で7年⑤

足袋履き稼業を続けた1年?2年くらいたった頃、親方に言われたか自分で思ったか覚えていませんが 「こんなこといつまでも続けていてはダメだ」。ネクタイ締めて仕事に出かけるようなことが「まっとう」でこんな足袋履いた仕事で「終わりじまい」で仕事を上がってきて、お日様が高いうちからしけた飲み屋でチューハイあおっているのはまっとうではない。 詳しくはこちらから ↓ 【プロフ-4】肉体労働で学んだのは「若いことのみが価値」なのか? だからこんなことはぼちぼち足を洗って「まっとうな仕事

【プロフ-6】掃除会社に入る前の福田さん(実名)|セミは土の中で7年⑥

【セミ7】の⑤(ナニワ金融道な会社に就職〜金先物取引編)で丸3年勤め上げた(刑務所に服役か!)僕は、起業を夢見る夢子ちゃん。スペースタイムカンパニー(実名)の福田さん(実名)の魅力的な話にどんどん引き込まれて、「いっしょにやりましょう!」ともう一人の坂田さん(思い出せない仮名)と3人で飛び込み営業を始めた。 飛び込み営業始めるタイムズ駐車場みたいな地面からフラップが立ち上がるタイプの駐車スタイルが確立する前に入り口に「大縄飛び」みたいなチェーンが上がったり下がったりするシス

Mits・西田光弘プロフィール(ロング)

STEP1:まず得意な事で稼いだ(好きな事は横に) STEP2:得意なことから好きなことへ移った STEP3:成功とは「やりたいことしかやらず、やりたくないことは一切やらない状態」にした、そしてそれを続けた → セミリタイヤした。 (今ここ)仕事でも金儲けでもない「活動」〆  ・小中高大学とすべて横浜で育ち今も地元に住む。2000年に「凡人の凡人による凡人のための成功法則」を作ることを志す。その中でも一人型、一人社長、1人ビジネス、1人型経営にもっとも効くものだけで体系化した