忘れるべからず備忘録2021(秋)

今の自分はどうであろうか。可もなく不可もなし、平々凡々の人間ではなかろうか。もちろん自分もその一人である。そんな一平凡な人間が今から何か始めようとしている。もちろん世界を変えることもないし、変える予定も無し。ただ自分自身の生き方を変えようと思う。これを変えることでより崇高な人生を歩むつもりで有ろうなど述べるつもりは無く、ただ完全に自己満足で変わってそれで終わり。目的はそう単純明快 楽しく生きること である。

自身の好きな小説の一節より拝借するならば

「面白く生きる他に何もすべき事は無い」


なぜこのように思ったのかキッカケは至極単純である。

コロナである。

こんなコロナ禍であるにも関わらず、何とかカンとかオリンピック・パラリンピックが終わってしまった。。。

そもそもこんなコロナによって劇的に世の中が変わることすら想像できなかった。リモートワークや時差出勤、働き方そのものが見直されている感じがした。

自身の生活はどうか。エッセンシャルワーカー又はインフラストラクチャーなる業務に従事するものとして大きな変化は無かった。緊急事態宣言初期には多少なりとも在宅勤務等々はあったものの、やはり社会を止めないことが重要である風潮からその後は通常業務へと戻っていった印象である。

仕事に対しても考え方に変化が見えた。従事する業態としては都市形成の一端を担う役割であるが、働き出した当初はその不変性に安心感があった。街を維持・開発していくことに変化を見出した。客観的に都市を見た際、今まで感じていた不変性は業務に従事することで見えなくなった。都市は息をするように生まれ変わっている。メタボリズムという運動を知った時、今までの考え方が塗りつぶされたようだった。代謝によって再形成され、従来の地名という旧来のラベルを残し新しい商品に生まれ変わっている。自分がやっていることは一つの細胞としての役割に過ぎないと感じてしまった。だからといって従事している仕事がつまらないわけではない。当初の考え方が上書きされ戸惑っているわけである。

自身の所属する企業も実に奥ゆかしき古めかしい風習が蔓延っている。良い意味でもあり悪い意味でもある。この悪しき風習も多少なりとも変化があるようだ。企業も同様に社員という細胞を入れ替え今日まで耐えてきている。この代謝によって思想・文化・風土等々が変わっている。変わってきていると実感する背景は自身が多少なりとも先輩となって企業に属しているからである。その企業のみが自身の働く人生において全てでありバイブル的存在である。そんな若造が変化を感じ取っているくらいである。周辺の諸先輩型はもちろん自分以上に感じている事間違い無しだろう。ただこの変化というものが、所属する業界及び社員の学生時代の学部に限定され、ある一定の範囲限定で変化が起こっていると思っている。もちろん自分はそれほど勤勉な人間ではないため具体的なことは述べる術を持ち合わせてはいない。

要はこの凝り固まった世界で残りの人生も歩んでいくことに既に少し飽きを感じ出したということである。企業は今後も形態を変え生き残っていくだろう。その変化さえ世の中から見れば些細な変化であり、気にもされず一般化されるであろう。自分自身はこれからどう変わっていけるであろうか。ただ漫然と業務に従事していくことを考えると恐ろしい。

自身の変化に気づく前、きっかけがあった。学生時代から自分はとにかく絵を描くことが好きであった。教科書には落書きをし、勉強そっちのけでノートを埋めたことは懐かしく感じる。

働き出してからは上記の通り不変性を信じ、ただひたすらに業務に熱中した。役割であった設計をした際、製本された図面を眺め仕事の成果品が一つの本であると錯覚した。設計者は線を引き、その描かれた線が物事を文字を用いず読み手に伝えるものである。この設計という行為により多少なりとも絵を描くという行為に近い欲求を満たしていたのだろう。この時の上司には特に感謝している。設計することはデザインすること。図に落とし込むものだけではなく仕事そのものもデザインするということを強く主張していた。また部下の思想等を大切にし、設計へ反映させ、実感させることで一時は高いモチベーションを維持することができた。ただ上司が異動となってからは仕事に身が入らなかった。元上司の設計することは崇高なことであり、仕事の流れは自身でデザイン可能であるということが全く実践出来なかった。

そんな腐り出した矢先にふと深夜の美術展に伺う機会があった。今まで趣味等そっちのけで働いていたためすごく新鮮だった。学生時代に何故か戻ったような感覚すらあった。そこから自分の興味を持った事柄や美術展に積極的にいくようになり、今まであまり遠出をしない人間であったものの、これを機に大阪・新潟等、自分の興味が湧く事柄に足繁く向かうこととなった。そんな中、京橋で開催された「TOKYO2021」という展覧会を見に行った。建築展と美術展があり、自分が見に行ったのは美術展の方だった。何に惹かれたと言われれれば太陽の塔の「顔」である。もちろん顔だけではなく車椅子の作品と合わさって一つの「新・太陽の塔」といった感じであった。ちなみにこの作品を撮影した写真は自身の展覧会放浪生活において一番のお気に入りとなった。話が逸れた。展覧会のコンセプトは二の次であったが見てみると大変興味深く考えさせられた。2020年の東京オリンピックから2025年の大阪万博まで都市・経済の発展は続くこと、オリンピック後の2021年以降について、そして万博後の2026年以降について、とても感銘を受けた。コロナ禍の影響により少し時間軸はズレはしているが確かにオリンピック・パラリンピック後の日本は、万博後の日本はどうなるのだろうか。一体に何に向かって走っていくのだろうか。これから万博に向けて動き出すエネルギー、今この流れに乗って自身も変わっていくべきではないかと強く感じた。だが感じたが良いがどう変わっていくべきか、自分は美術家ではない只の平凡な一社会人である現実とどう折り合いをつけていくか。

ここから仕事と趣味の両立について考えることとなった。今までのように仕事をこなしつつ、自身の欲求のために隙間時間で美術館を訪れたり絵を描いたりした。充実はしていたが何か足りなかった。その欲求は仕事へも浸食しだしたわけである。より充実した職場または環境は無いか社内異動情報を調べまくったわけである。そこである部署が目にとまった。そこは自身の欲求と仕事の熱意双方を両立することができるような部署であった。だがそう簡単に異動が出来ないのが社会人である。現在の分野とは全くもってかけ離れたところであるため、育て上げた社員をおいそれと異動させるわけがない。

そこで冒頭に申し上げた「始めよう」に繋がる。この異動を目標としてある事柄を始めるわけである。異動には何か必要か。資格・経験等色々あるやもしれないがそれらを片っ端から実行していこうという算段である。これらを実行することで異動は叶うのか。結論から言うと分からないに尽きる。ただ今の自分が吠えたところで叶いもせず終わることは名言出来よう。一縷の望みがあるのであればそれに掛けない手はないと思っている。始めようとしていることは自身の好きな事柄であるため苦ではないことが救いである。この始めるに至るきっかけ作りとなった方々には大いに感謝している。このような好機を見過ごさず今まさに掴もうと動かんとする自分がいるわけであるから人との繋がりは偉大である。

読んでいて思う方もいるだろうが無事達成できるかは分からない。いかなる鉄の意志を持とうとも未来は誰にも分からない。自分としても無事目標を叶えていてほしいと切に願うばかりであるが、もしかしたら実はすぐに挫折している自分がいるのかも知れない。そうなったらその時新たな目標を立てれば良いだけである。一縷の希望に掛けはするものの、高望みは一切しない所存である。無理であったならそれは如何様にも無理なのであろう。きっと未来の自分が過去の自分に対し親切丁寧に説き伏せていること間違い無しだ。

又々小説より拝借するならば

「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ」

足繁く通った美術館の中で特に大好きな西洋美術館内に鎮座する地獄の門、その元となる叙事詩「神曲」地獄編第3歌の銘文

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」

これから始めることは地獄編の始まりと錯覚してしまいそうであるが、ここまできたら止められない。ただひたすらに突き進むのみである。


それと後一つ始めようと思うことがある。それは今一度しっかりと絵を描くことである。現在のアイコンはネームペンで紙に描いたものをスキャンして簡単に色をつけたものであるため、しっかりと描き込んだアイコンにしたいと思う。大好きなポップな感じで。それが一種の決意表明的なものである。もちろんアイコンの仕上がりは保証できない、何故なら自己満足の塊だからだ。この自己満足の決意表明の元、来たる2021年10月を新鮮な気持ちで迎え、そして何より自分らしく楽しく生きようと宣言する次第である。


読者諸君がこの記事を見つけた時期はいつだろうか。もちろん投稿されて割と最近であろう。しかし時を経てこの記事を見るである方々へ向けて書こう。さて現在も挑戦は続いているだろうか、無事目標への道筋をたてられたであろうか、はたまた挫折し別のことに感けてはいないだろうか。いずれにせよ楽しく生きれいればそれで良し。人生は面白く生きる他に何もすべき事は無いからだ。

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