爾薩体→糠部?

征夷大将軍について調べていると、どうしても「13人の鎌倉殿」に引っ張られて鎌倉時代まで時代が飛んでしまったが、私がまず知りたいのは、

古代のどのあたりから、青森県南地方が中央に認識されはじめたかということだったので、もう一度「青森県の歴史」に戻ってみる。

すると、

著名な坂上田村麻呂の征討事業をうけた文屋綿麻呂による征討によって、岩手県北部から青森県東南部にかけての閉伊・爾薩体(へい・にさたい)地方が平定され、その影響は上北地方と考えられる都母(つも)にまでおよんでいった。

「青森県の歴史」山川出版社

書いてあった!つまりは文屋綿麻呂という人物によって青森県南部は征服されているらしい。これは「日本後記」に書いてあるらしい。

青森県南部は9世紀初期には、平定されていたらしい。で、ここまででいくつかの疑問。

①文屋さんって何者?田村麻呂も名前は知っているけど、何者?⇒どんな人が、征夷大将軍というか征夷使になったの?

②青森県南地方の名称って爾薩体⇒糠部ってこと?

③阿弖流為(アテルイ)って田村麻呂と好敵手だったはず、、どこいった?

④伊治呰麻呂の乱とかも教科書にでてきたよ?何者?

⑤文屋さん⇒奥州藤原氏登場まで2~300年あるけどその間はどうだったの?

この辺を調べる?勉強しなおしたいと思います。

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