みちのく、いつから征伐され始めた?
大宝律令によって陸奥国をはじめ、国などの地方行政システムが整備されましたが、大宝律令完成時はまだ青森県は陸奥国ですらありません。
ではいつから?
その前にいわゆる”みちのく征伐”的なものがいつから行われるようになったかについてです。
陸奥国については、実はウィキペディアがめちゃくちゃわかりやすい。地図もあってわかりやすいので、それ見たらわかる。
とりあえず、自分のおさらいようにまとめます。
今日もこれで振り返ります。
陸奥の国に住む人=蝦夷(エミシ)かな?という感じで、索引で”蝦夷”を探します。
東北地方に住み、当時の朝廷から異民族とみなされていた蝦夷は、7世紀ころから征討の対象となるようになり、
7世紀です。
7世紀というと、603年冠位十二階の制、604年憲法十七条制定という、
みんな知っている聖徳太子の時代がはじまり。
そして、蘇我蝦夷・入鹿親子を中大兄皇子・中臣鎌足を滅ぼし、改新の詔を発した、いわゆる大化の改新が646年。
663年に白村江の戦で負けて、内政に力を入れだす。
中大兄皇子こと天智天皇の死後、
672年壬申の乱に勝利した大海人皇子が天武天皇なる。
その妻持統天皇、いろいろあって文武天皇のころに大宝律令完成。
7世紀のボリューム感ったらない。
教科書にはないけれど、白村江の戦の敗北後、国内征伐が盛んになります。
大宝律令制定時点では、東北の太平洋側は宮城県、日本海側は山形県くらいまでが中央政権の支配域。
しかも、支配拠点として北陸には7世紀のうちに柵ができるが、太平洋側に多賀城ができるのは8世紀まで待たないといけない。
天智天皇のころから、東北征伐が始まったというイメージをなんとなくここでは掴んで終わりにしたいと思います。
先が長い。。。
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