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朝鮮半島考古学上の空白5000年

 12000年前(B.C.10000)から7000年前(B.C.5000)の間が考古学上の空白らしい。

 この空白と言うのは遺跡が1つも見つかっていないと意味での空白である。要するに何も発見されていないのである。朝鮮半島で発見されている遺跡はB.C.5000より新しいかB.C.10000年古い遺跡で、この間に完全な断絶がある。B.C.10000からB.C.5000の間の朝鮮半島にホモ=サピエンスの継続的な居住の形跡は発見されていない。

 7000年前は南九州の鬼界アカホヤ火山噴火が起きた時代なので、この難を逃れて縄文人が無人の半島に移住したと言う説すらある。

 もちろん遺跡が見つかっていないだけなので、人が住んでいた可能性はあるのだが、日本より遺跡が残りやすい環境で1つも見つかっていないのは何故だろう。

 ちなみに7200年前の遺跡が対馬にあるらしいが、これもアカホヤ火山噴火の後の代物らしい。

 この韓国式土器は最古の韓国式土器かもしれない。7200年前に韓国では遺跡が見つかっていないから。対馬式土器と言い替えるべきかも知れない。

 この空白を埋める遺跡として済州島高山里遺跡があるらしい。

 しかし済州島は、高麗時代まで耽羅国と言う独立した国だった。高麗に組み込まれた後、今度はモンゴルの直轄地になっている。しかも三國志魏志においては州胡と呼ばれており、半島とは全く違う言語を話す民族が住んでいた。さらに済州島には倭人降臨神話が存在するという。

 植生も異なり、済州島は蜜柑が育成可能。倭に統治を申し出た歴史もある(百済が間に入るため断った)そのため済州島に遺跡があっても半島に韓国人の祖先が住んでいた証拠にはならない。対馬・隠岐まで航海していた縄文人が済州島まで行っていないと言う傍証にしかならないからだ。

 それゆえ半島本土における考古学的発見がまたれる。

 西日本は縄文人が少なくこちらも痕跡を探すのが難しい。東日本だと海を越えた交易が縄文草創期(12000年前)には行われていた証拠が見つかっている。隠岐黒曜石や九州産黒曜石の交易経路図もまた待たれる。

 また小豆DNAは縄文時代の日本で栽培が始まり、朝鮮・中国に渡ったことを示唆している。

日経サイエンス2024年2月号 P57


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