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日々の機微。012。

今日はダラダラするお休み。

昨晩も撮影はしてなかったけど、
綺麗な月夜でした。

十六夜でしたっけ?

今週末は舞踏家さんの公演のお手伝い。
音を出す係。

音って、色んなところに無造作に置いてある感じがします。

一人の部屋に寝転がっていても、よーく耳を澄ませると、換気扇が回っていたり、窓の外で車が走っていたり、コーヒーを飲む音、そのコーヒーカップを置く音などなど。
完全な無音という状態はありません。

その辺を音での表現に変えるのが自分の表現の一端なんですけど。


モノを表現する、無形有形関係なく。
その根底にあるモノってのは、割と原始的で

褒められたい!認められたい!

などとは別の次元にあると考えています。


もっと奥底の下地としての表現というのは、上手い下手とか以前に、
自分というモノを何かしらの表現手段で創造し、提示することではないのかなあーと。


どうしても作らないといけない、表現せねばならない、そのくらいには切羽詰まったところでやってることな気がします。

そこには得手不得手あったとしてもです。
そういうのは無関係に。


そんなことをしなくても生きていけるならば、それはそれでいいと思うし余計なことにリソース使わないで済むので幸せなことですけど。


誰が読んでいようと、聴いていようと、見ていようと、どんな批評を受けようと無視されようと、そういうものを一切受け付けないところで、
自分と対峙してモノを作っている気がします。


モノを作るのが楽しい!とか楽しくない!とかそんなステージにはいません。
(勿論楽しくてやってますけど)

もっと切実に作らないと死ぬ病くらいのところにいます笑




ここではないどこかで、
いつまでも自分は頑張って作っているのに誰からも評価されない認めてもらえないみたいなことを言っていた方がいたので、そのアンサーです笑


いいねの数、リツイートの数、引用で褒められる、そういうところが基準だというのならば多分創作には向いてないのでやめた方がいいと思う。

他に楽しいことを見つけた方が健康に良い笑

そして多分そういうことをグダグダ言っている時点で作品としての品質は低下するんで尚更だと思う笑


ニッチな音楽界隈にいるとあるある過ぎて、そういう方はスルーされるんだけども笑


褒められる認められるなんてのは、オマケだぞ。
有難いオマケ。

そんなモノがあろうがなかろうが、
技術があろうがなかろうが、
意味があろうがなかろうが、
それでもやるのが自己表現。


誰かに認められるの前提で作ってるってるのがもう烏滸がましいんだけど笑


もう少し頑張ってください。
自分に対して。

自分で評価して、自分を認めてあげてください、マジで。

とか朝から思いましたー。