ねぎさんへ
「それでは、チケットをお持ちの方は受付を開始しますのでお並びください」
震える手でチケットを握りしめた私は、電飾付きの赤い文字で公演タイトルが掲げられているその建物を見上げた。
半年前、当選の手紙とチケットがポストに入っていた時は夢かと思って頬をつねった程だ。
あのグーフィーと、あのシアターの、あのロビーで…!
握手ができるなんて本当に本当に夢みたい……!
きつい筋トレも、食事制限も、メイクの練習も、今日のために頑張ってきた。
大好きなグーフィーの目の前に行くんだから、絶対にもっと綺麗になってみせるって頑張ってきた。
ちゃんと成果も出てる。だから、きっと大丈夫。
ドレスのシワを伸ばすと、私は扉の向こうへと歩を進めた。
スタッフにチケットの半券を手渡してロビーに入ると、既にたくさんのファンが花道を作って待っていた。
こちらですと誘導されて自分も花道を形成する人混みに加わると、一気に緊張がこみ上げてくる。
一方的にステージ上のグーフィーを見つめることは慣れているけど、グーフィーの視界に自分が入ることなんて初めてだ。
もうすぐグーフィーが降りてくるであろう、厚い布地の階段を見上げると、妙に不安な気持ちが胸をかすめた。
周りにいるファンの女の子達は綺麗でスタイルもよくて、どの子もグーフィーとお喋りしている姿が想像出来る。
…私は本当に、グーフィーに会うのに相応しいファンになれてるのかな。
なんだか急にこの場所が自分には場違いなような気がしてきて縮こまっていると、スタッフの
「それでは登場です!」
という声で緊張は最高点に達する。
階段を見上げた視界の端に細長いエナメルシューズの先が見えた瞬間、どきりと心臓が跳ねた。
続いてタキシードのパンツと長い脚が見え、白い指先が手すりの上をゆっくり滑り、ついにゴールドのベストの端まで見えてしまった。
周りから小さく黄色い悲鳴が上がる。
どうしよう。
本当にグーフィーがここに来る!
ど、どうしよう!
気づいた時にはもう、閉まった金色の扉に手をかけていた。
++++++++++++++++
「ハァ〜…」
テーブルに肘をつき、空になったカレードリアの容器を窓際へ押しやると、思わず深いため息が漏れ出てしまった。
握手どころか、顔も見てこなかったなんてありえない。
何のために半年間頑張ったっていうの…
「…ほんとに、何やってるんだろ。」
半年間楽しみにしていたイベントはもうとっくに終わっていて、窓から見える噴水広場の木々も西日に照らされている。
深緑色のレースドレス。
背中や鎖骨が透けるから勇気がいったけど、これを着てグーフィーに会いたいって思ったから意を決して買ったのに、無駄になっちゃったな。
なんだか泣きたくなりながら冷めた紅茶をすすっていると、隣から椅子を引くギィ、という音がした。
「隣、いいかな?」
「あっ、大丈夫ですよ。……えっ?」
自分側に荷物を寄せて返事をしながらふと思う。
今の声、聴いたことがある。ていうか毎日聴いてる…!
バッと身体ごと振り向くと、既にその人物は脚をもう片方の脚にかけて隣の椅子にゆったりと腰掛けていた。
ロングコートに黒いハットを深く被っていて姿はよく見えないものの、5年も応援し続けている人を間違えるはずがない。
「〜〜ッ!!?…グ、」
思わず声をあげかけると、大きな手のひらでそっと口を塞がれる。
そして空いたもう片方の手でハットのつばを軽く上向きにあげると、そのままシーっと人差し指を自分の唇に当てた。
やっぱりグーフィー本人だ!!
驚いて声も出なくなってしまった私をよそに、グーフィーは片手を上げてウェイターを呼んだ。
小声で何かを注文しているようだけど、そんなことはどうでもいい。
これは…夢?
どうしてグーフィーがここに…?
そもそも何でグーフィーが、人の入りもまばらなこの店内でわざわざ相席を…?
追いつかない頭で考えを巡らせていると、ウェイターが湯気のたつカップを2つ運んできた。
早〜〜〜!!?
この店にはよく通っていたけど、こんなに早く料理がきたことなんて一度もない。
どうやらウェイターも、ここにいるのがハリウッドスターだということに気づいているみたい。
たまに来るのだろうか。
グーフィーはありがとうと言ってウェイターからトレーをそのまま受け取ると、
「ハイ、どうぞ。」
一瞬2つのカップに目をやってから、1つをこちらに差し出した。
「ええ!?」
思わず周りを見渡すが、グーフィーは誰かと待ち合わせていたわけではなく、私にカップを渡そうとしてくれているようだ。
震える手でカップを受け取ると、グーフィーは嬉しそうににこりと笑った。
あ、大好きな笑顔だ。
カップを覗くと、入っていたのは温かいココアだった。
甘い匂いが鼻を抜ける。
ココア、たまに頼んだこともあるけど…こんな感じだったっけ。
グーフィーがカップに口をつけたのを見て慌ててひと啜りすると、その一瞬でホッと身体が優しく温まったような気がした。
「あったかくて美味しいねぇ。」
「はい…あの…ありがとうございます…」
いきなりグーフィーが現れて混乱でいっぱいだったけど、ココアを飲むと不思議と心も落ち着いてくる。
口の端を僅かにゆるめてカップの縁を親指で擦っていると、グーフィーがテーブルにカップを置いた。
「知ってたかい?ウェイターさんにお願いすると、マシュマロを入れてくれるんだ。」
「えっ…?」
もう一度カップの中を見ると、茶色いココアの中央にマシュマロがぷかぷかと浮かんでいる。
さっき抱いた違和感の正体はこれだったのか。
「キミのは2つ。よかったねぇ。」
嬉しそうに微笑むグーフィーが置いたカップにはマシュマロが1つだけ浮かんでいて、思わず小さく吹き出してしまった。
わざと2つ入っている方をくれたのに。
そういえば私はグーフィーの、優しくてあったかくてそこにいるだけで元気をくれる、こういうところが大好きなんだったなぁ。
「それじゃあボクはそろそろ戻らなくっちゃ。」
グーフィーはゆっくりと立って椅子を元の位置に戻すと、くるりと背を向け歩いていった……が、すぐにバタバタと足音をさせて戻ってきた。
「忘れてたよ!」
ス、と長い手がこちらに差し出される。
意味がわからずぽかんとしていると、
「昼間できなかっただろ?」
………………エッ???????
どういう……
えっ嘘!???
グーフィーは見た目よりも強い力で一方的に握手をすると、ココアを片手に呆然と座っている私の前に跪き、膝に置いていた方の手をさらりと取ってキスをした。
そう!!
何度も客席から見ていたあのシーンみたいに!
「ドレス、とってもイカしてる。今度はちゃんと待っててね。」
そして悪戯が成功した子どものような顔で笑うと、ハットを深く被り直し、大きな歩幅でゆっくりと歩きながら今度は本当に店の外へ出て行った。
「…す…………好き………」
しばらくしてやっと動けるようになってからカップをテーブルに置くと、溶けたマシュマロがずぶずぶとココアの海に沈んでいき、まるで今の私のようだなと思った。
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