単純明快

褒められた嬉しい。生きていける。

人の意見が10だ。流されやすい人間ということでは無い。むしろ流されやすかったら、もっと素直な可愛らしい人間だったのだろう。

自己判断がくだせないのだ。自分で善し悪しがわからない。なので人に委ねてしまう。そんなことをしているから人の意見に直ぐに傷つき、直ぐに落ち込み、直ぐに消えたくなる。自分が見当たらないのだな。可哀想に。ただ、その分人の意見で異常に持ち直す時もある。不便なようで便利なようで不便だ。自分では扱えない困ったものだ。

頑固さや正しい自己愛が欲しいものだ。それが無いのなら、柔軟性や平等な愛。どっちかでいいのにな。自分を信じ、貫き通す姿勢。他人の言葉を真っ直ぐ受止め実行出来る愛らしさ。どちらでもかっこいいのにどちらもできない。反語だけの世界ならいいのに、世の中には間(あいだ)が存在する。私は間にずっと挟まっている。自分で選んで間ならいいが、無気力な間だ。

量産型というのがあるが、それは褒め言葉だろう。他と馴染んでいるのだから。他から劣らず見えているのだから。とても羨ましいものだ。量産型について行くことも出来ず、自分の芯がある訳でもない、はたまた素直な柔軟性もなく。なんだこれは。なぞなぞのような生き物だな。自分の近い生き方を探さねばな。こんなに歳を重ねたのにまだまだわからない。まだまだ探さねばならない。そう考えると生まれて1年で立ち上がる子どもはほんとに大人だな。





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