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コロナ禍の退職

我ながらなぜこのタイミングで、とも思うけれど、コロナ禍で仕事を辞めた。

このタイミングで仕事を辞めることに迷いがなかったかといえば、実はあまり悩まなかった。

貯金はそんなにないし、アテにできるような遺産を相続したわけでもない。(むしろ親の借金が多すぎて、相続は放棄した。)

ただ、このコロナになって一つだけ気づいたことがあった。時間はお金に変えられないということ。特に、誰かと過ごす時間は。

実は、このコロナが流行る一年前、亡くなった父とスペイン旅行に行った。当初私は、資格試験が迫っていたので乗り気ではなかった。せっかくの旅行先に試験のテキストを持参したほどだ。

乗り気ではない旅行だったけれど、スペインの空は青かったし、サグラダ・ファミリアは荘厳で、幻想的な光で私を包んでくれた。スペイン旅行は結局、満足だった。また来たいな、とそのとき思った。

それから半年後。

父の病気が発覚した。余命半年と告げられた。でも、実際には3ヶ月しか持たなかった。

私はこのときようやく気がついた。

あれが父との最後の旅行だったと。仮に、コロナが流行らなくても、最後の旅行だった。そして、仮に父が元気だったとしても、今年はスペインに行くことはできなかった。

すべてが推量られたようなタイミング。

タイミングは面ではなく、点で実現するのだと。

家賃を払うためにあくせくと働き、大切な時間をおざなりにしている自分に気がついたとき、一旦この生活をやめて、自分の生き方を見直そうと思った。

今のところなにかの答えが出ているわけではない。

これから先もその答えが見つかるとも限らない。

でもそれでもいいじゃない。と、思えてるから、何かに気づけたのかもしれない。


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