写真として写るもの

先日、月次で開催されているワークショップに参加してきました。

夏前からポツポツと褒めていただけるようになってきてて、嬉しいから行ってるってのも無くはないんですが(その半年前(年末頃)にはボロボロに言われましたがね!)
またもや難題が降ってきました…。

私のバックグラウンドをご存知の方なので、多分言い方とか色々気をつけて下さったのは重々承知です。
そして私がまだ、周りに引っ張られて構図やら決めてるのも多分見抜いてるはず。

撮りたいシチュエーションとか浮かんでも、絵までは見えてこないんです、私の場合。
お相手が誰かで変わるってのもあるんですけど、漠然とでも、ここではどうしてもこれを撮りたいって鮮明なイメージはない。

となると、今まで見てきたもので、良かったなぁって思うように、多分無意識に撮ってるんですよ。
憧れまでは行かなくても、些細な、いいなぁって感覚で。

あとは、たまに撮っていただいてる人の影響。
自分が写ってる写真ってやっぱ、一番見ますしね(最近はそうでもないけど)
どんな風に撮ってるんだろーとか、やっぱ気になっちゃって。

そうなると、私の中に蓄積されてるのは男性目線の写真が多いわけで。

元々、女性だから、男性だから、の目線で撮ってたり見てたりしてないって思ってたんですけど、そのあたりちょっと意識しないとなのかなって。

女性を撮ってて思ったんですけど、可愛いなぁって思う目線が男性が見てる風になるのは致し方ないと思うんですよ。
だってバイなわけだし←
性的な目で見ようと思えばそう見れるし、そうでなく純粋に可愛いからで納めたいって思っても、結局可愛いって男性に思ってもらうため、みたいな部分も含めてのものの場合もあったりするし…。

と、なると。
私は女性らしい写真が撮れないのか?!という気持ちにもなってきてたりで。

多分、男性を撮ってたから、女性が撮る写真になったのかと言われたら、多分違ってて。
周りに男性を撮る人がいないから、フラットに好きなように撮れただけであって。
女性の場合、周りにたくさん撮ってる人がいるから、見せ方はこれがいいのかなとか無意識に思ってたのかもしれなくて。

とある人には、
「女性カメラマンって、ふわふわしたものをふわふわっと撮るよね」
って言われたんですけど、それはレンズの解像度がどうのって話ではなくて、空気感をちゃんと納めたいって思ってのことかなって思って。
ピントが来てないけど出しちゃえ、的な、そんな単純な話ではなく。

ただ、私もその場にあった、ふっとした瞬間を納めたいんですよ。
楽しくてケラケラと笑った後のふわっとした笑顔とか。
相手がどういう心境なのかまでは分かりませんが、笑顔を向けてくれる時、女性相手だから微笑んでるのか、写真として発表されたときに伝えたいものとしての笑顔なのかとか。

うーん。これは私が汚れすぎてるのかなぁとか。思って来ましたよ??
ただもう、取り返しのつかない、根底の部分に関わってくるのかなーと。

ふむー。
一度辿って来た人生の棚卸しをすべきなのかなー。
親のこと思い返すの、嫌なんだけどなぁ…。幼少期の体験って、撮るにあたってすごく響いてしまうような気がしてしまう。。

幼い頃に見てた景色。
いいなぁって思ってた瞬間。
今それを再現したいから写真撮ってるわけじゃないんだろうけれど、それも自分の体験の1つとして。

ただなぁ…あんまりいい記憶ではないのと、多分世界に色が無かったというか、光があんまり無かったような気がしてて。
だからなのかな。フィルムで撮られた、昔のモノクロ写真に惹かれるの。
黒いところが潰れて真っ黒になってる写真とか。怖いけど惹かれるの。

ふむー。
来週の撮影までに、自分の中の整理がつくのかな。
(その前にかなえちゃんの写真のnote完成させよっと)

そしてそんな不安定な私に撮られてもいいよ!って思って下さる心優しい方がいらっしゃいましたら…
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