夏の顛末

 夏だった。夏服になったセーラー服の下にじっとりと汗をかきながら、私は自転車の後ろで彼女にしがみついていた。地上にでてきたセミの一生ぐらい短い地元の夏に、私たちは自転車を二人乗りして、初めて学校をサボった。中2の夏だった。

 私と彼女はどっちもどっちの家庭環境で、同じクラスで、教室内の立ち位置まで似ていた。鮭とばが好きだったとこ、ヴィジュアル系が好きだったとこ、ヤンキーにも普通の子達にもあんまり馴染めなかったとこ、身長、癖毛、風の匂いで季節の変わり目がわかる瞬間が好きなとこ、田舎が大嫌いだったとこ。
ニコイチとか、いつメンとか、今ならそういうのはなんて呼ぶんだろう。あの時期の私たちは多分そういうのだった。とにかくいつも一緒にいて、それでも話は尽きなかった。何をそんなに話すことがあったのかも憶えていないけど、私たちは放課後の教室で、公園で、コンビニの前で、駐輪場の陰で、色んなことを話した。私は彼女が大好きで、彼女もそうでいてくれた。と思っている。
彼女はすごく大人だった。あの頃の私にはそう見えていた。私はそれが悟りに見えた諦念であったことに気がつけるような聡い子供ではなかった。私はいちいち(思春期にありがちなように)自分の生活の全てに憤っていて、彼女はそんな私にいつも「期待するからムカつくんだよ」みたいなことを言っていて、私はそれが理解できなかった。私の要求は期待ではなくごく正当なもので、必ず与えられるべきものだと心から信じていた。そしてそれは必ず手に入らず、私はその度に怒り狂っていた。「普通」の家庭に生まれなかったこと、「普通」の家族を持たなかったこと、それは彼女だって同じなのに、なんでこの子は私と同じように怒らないんだろうといつも思っていた。
 彼女は茶髪のセミロングで、眉毛がなかった。わたしは黒髪で、わたしも眉毛がなかった。だからよく2人で生活指導のターゲットになった。全剃りした眉毛を隠すために伸ばしていた前髪もよく指導された。私たちが眉毛を剃り落としたのは、私たちはヴィジュアル系が好きで、好きすぎてヴィジュアル系そのものになろうとしていたからだ。ヴィジュアル系かくあるべしと眉毛を捨て、一切の日焼けを禁止し、自転車はヴィジュアル系にふさわしくないとどこに行くにも徒歩だった。本当に痛々しくて見ていられない。思い出すだけで恥ずかしい。暗黒の時代。この時のやらかしのせいで私たちは中学の同窓会に一度も呼ばれない。
眉毛を生やせという恥ずかしい指導を何度受けたところで眉毛はすぐに生えてこない。前髪を切れと言われても私たちは頑なに切らない。私達は真剣だった。だってそれだけがあの頃の私たちを救ってくれるものだと信じていたから。暗くて重たい曲と歌詞に自分たちをなぞらえて、私たちは2人以外の人間全てを「パンピ(笑)」と呼びバカにして笑った。2人でいれば最強だった。2人でいられればよかった。どんなに田舎に住んでいて、何もなくて、どんな理不尽を抱えても、彼女がいればそれでよかった。2人でひとつなのだと本気で信じていた。

 彼女が一年生の時に学校の駐輪場に放置した自転車は、雨ざらしにされて端に転がっていた。夏の曇り空と湿気の匂いが私たちをじめじめと取り巻いていた。私たち以外の全校生徒はグラウンドで自転車のマナー講習の最中だった。自転車を取りに行く生徒たち、戻しにきた生徒たちに混ざって、自転車に乗らない私たちはそっと2人で校門を抜け出した。バレたら怒られるだろうか、全校生徒が入り乱れたグラウンドでは2人がいないことになんて誰も気が付かないだろうか。まさか親にまで連絡されないだろうとたかを括って、私は彼女の後ろにまたがった。
私たちは疲れていた。暑くなり始めた寝苦しい夜に、人間関係に、家に、学校に、期末テストに。どうでもよかった。どうせ何も私たちの思い通りにならないから。
自転車が走り出しても、私たちに行く場所はなかった。ドラマとか映画みたいに海にはいけない。内陸だから。最寄り駅までは1時間かかる。遠くにはいけない。彼女は下にまだ小さい兄妹が数人いたから、放課後はその子たちの面倒を見なければいけなかったから。自転車は少し迷ったあと、結局、放課後の溜まり場だったいつもの公園に止まった。
その日は朝からずっと何か言いたげだった彼女は、公園のやぐらの上で、私に前髪を上げて右眉の上を指差してみせた。青紫のアザがあった。ちょうど大人が拳骨を握って1番骨が出るところが当たったらそうなるんじゃないかというくらいの大きさのアザだった。何を言われなくても、彼女が何を言いたいか理解できた。私たちはよく似ていたから。みぞおちから胃に重たいものが流れて気持ちが悪くなって、胃が締まるような気がした。何も言えなかった。何か言ってあげたかったけど、何も言えなかった。慰めは所詮慰めであって何にもならないけど、慰めの言葉さえ出なかった。私は子供で、何もできなかった。思春期特有の根拠のない万能感みたいなものは失せて、初めて彼女が泣くのを見て、ただ抱きしめあって私も泣いた。悔しかった。大好きな友達が傷つけられていたことに居た堪れないきもちで、そのとき初めて、私も彼女の目に同じように映っていたのかもしれないと気がついた。私が感じていた怒りや理不尽を、彼女だって感じていないわけがなかったことに気がついた。私たちは本当によく似ていたから。彼女は1人でそれを飲み込んで、そして諦めていたのだ。大切な人が傷つくと自分も傷つくなんていう使い古しお涙頂戴みたいな表現を、私たちは「パンピ(笑)」と呼んでバカにしていたけど、それは本当のことだった。殴られることが当たり前ではないとは知っていたけど、それが虐待になることは知らなかった。私たちはそれを躾だと、私たちが悪いから殴られるのだと教え込まれていた。殴られたあとに、殴る方の手も痛いのだと小さな頃から必ず言われていた。私たちはそういうところで育った。地上にでてきたセミの一生ぐらい短い夏と、バカみたいに暗くて寒くて長い冬が来るところだった。こんなところで生きる人間はみんな気が狂っていて、正気なのは私たち2人だけなんだと、よくそんな話をした。
 泣き止んだ彼女は恥ずかしそうに、カバンの中敷の下からセブンスターを取り出して、「一緒に吸おうと思って」と笑った。家からパクってきたらしかった。寝転がって、やぐらに転がるシケモクを投げ落としながら、私たちはタバコに火をつけてみた。初めて吸ったタバコは煙で死にかけたし、ずっとおじさんの匂いがして最悪だった。ひとしきりふかしてみて、私たちは「ベロがまずい」「臭い」「口臭がゴミの匂い」と言い合った。
いつのまにかぽつぽつと小雨が降っていた。私たちは少し黙り込んで、彼女が「お迎え行かなきゃ」と言うまで、やぐらから雨を見上げていた。
私たちについたタバコの匂いと、雨で濡れた土の匂いと、鼻の奥の涙の感触が混ざって、私は10年以上経った今も、それを夏といえばの風景のひとつとして、季語みたいに覚えている。

 私は自分の家族も彼女の家族も死ぬほど大嫌いだったけど、彼女は自分の家族を愛していた。
愛憎入り乱れる、という表現の方が正しいかもしれないし、それはそういう家庭で育った人間にありがちなことなのかもしれないけれど、それは私に彼女を大人だなと思わせる大きな要因のひとつだった。
私は死んでも自分の家族に協力なんてしたくなかったし、今でも絶対にしたくないし、しないけれど、彼女は時には自分を犠牲にして家族に尽くしていた。彼女が学校を欠席するのは、決まって兄弟の下の子が熱を出したか、風邪をひいたかしたときだった。いつも私がノートやプリントを彼女の家に届けた。細く開けられた扉から「ありがとう」と笑う青白い彼女の顔に、何度も歯痒い気持ちで「別にいいよ」と答えた。どうして誰もこれに気がつかないのだろうと思った。どうして誰も何もしないんだろうと憤った。彼女だって子供なのに。小さな兄弟が多いのは彼女のせいじゃないのに。でも絶対に彼女には言えなかった。彼女はそれでも家族を愛していたから。私はそういう理不尽にいつもむかついて、怒らない彼女にもむかついたりして、そして自己嫌悪に陥った。私は彼女に自分を重ねていて、なぜ誰も彼女を救わないのか?と怒ることは、なぜ誰も私を救わないのか?と叫んでいることと一緒だったからだ。本当に私はずるくて幼い子供だった。

だから彼女が県外に住む父親の元から高校に通うと言い出したとき、私はすごく複雑だった。それはきっと彼女にとって最善の選択だということは分かっていたけど、それは私がここで1人になってしまうということでもあったから。口では「絶対にその方がいいよ!」と言いながら、私は寂しかった。離れたくなかった。彼女をもう1人の自分のように感じてしまっていたんだと思う。
「いつでも家出してきな」と彼女が私に声をかけて、それになんて返事をしたのかは覚えていない。でも彼女のそういうところが、私にとってはすごく大人に見えた。彼女は寂しくはなさそうで、私はそれも寂しくて、でもやっぱり大好きだった。

 私たちの付き合いはずっと続いた。お互いのLINEの1人目の友達になった。遠くに離れても深夜の電話で、まだ全然有名じゃなかったQoo10で買ったスキンケアのレビューをしあって、最近好きなヴィジュアル系バンドの話をした。
私が上京して、彼女は腕にタトゥーをいくつか入れて、私も彼女も仕事と彼氏を何回か変えて、私の腕にもタトゥーが入って、その間にも月に1回か、2ヶ月に1回かそのぐらいの頻度で会ったり会わなかったりしながら、そのうち彼女は腕の中でも1番大きなタトゥーを消した。彼女の結婚が決まった。「タトゥーは絶対消さない!」と言っていた彼女が、あっさり病院でローンを組んできたとき、やっぱりこの子は大人だなと思った。「レーザー痛かった、財布にも」と笑う顔が、中学のときとあまりにも変わらないから、私は結婚のお祝いをするのも忘れて、彼女の腕の包帯とその顔を見比べてしまった。
そうだ、私たちは大事なことは誰にも相談しないで1人で決めて、事後報告する。そういうとこも似ているんだった、とそのときに思い出した。
あの夏の日の話は、私たちの間で特に触れられることはない。多分覚えているだろうけど、覚えてなくても別にいい。
私は彼女と血は繋がっていないし、これから先も家族にはならないけど、それとは別の場所で、彼女を愛している。彼女は身長が伸びたし、もう私たちはヴィジュアル系から離れてしまったし、2人とも眉毛は生えてるし、似ていない部分も多くなったけど、でもやっぱり彼女は私の大好きな友達で、多分それはこの先もずっとそうなんだろう。
私たちは地元を捨ててしまったから、あの公園には行けない。私たちはもう人生の半分以上を友達として過ごして、私は彼女を多分1番近くで見て大人になった。またあの日みたいなことがあったら、抱きしめて泣くだけで言葉はかけてあげられないかもしれない。でもそれでいい。彼女にとってそういう場所でありたい。

結婚おめでとう。

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