Fセク/ロマになる理由ってさあ

こういうジャンルってあんまり話しがないような気がするので。
もし書くことで、誰かの参考になるか、こうした例もあるのかと知ってもらうことで、誰かの希望に少しでもなれるなら、書きたいと思った次第です。

実際そうした記事を書いてる少数の人の記事が、自身にとって内省するきっかけになることが多かったから、です。


まず、Fセクと夢女/男の違いについて。
この2つの言葉は、似てるようで違うと思います。
違う言葉なのに、同じとはならないと思う。

根本には恋愛感情なり性的に好きとか、変わらないと思うんです。
ただ個人的に思うに、夢小説を読む人たちは娯楽作品として物語を読み漁る…もう少しライトな感じだと思うのです。
一過性的で、その作品ないしはキャラクターに対して一時的な熱を持ったような感じです。

Fセク/ロマくらいになると、その気持ちが人生に関わってきちゃうような…はたから見たらちょっと重いというか、リアルに影響される感じを伴ったものじゃないかな。
そんな恋愛だと思います。


…おっと、自分は普通の異性愛者にもなりますし、Fセク/ロマでもあります。
だから同じ次元の恋も、別の次元の恋も否定しないものになります。
今はそんな見方が出来ますが、昔はそんな自分の性質について、自分自身で否定していました。

“どうして存在しないものに対して愛着を抱くのだろう”

それに気付いたきっかけは、小学5年くらいの時まで遡ります。
その微妙で多感な年齢の時、ラブストーリーに重点を置かれた作品を見たときのことだったと思います。
まだ恋愛について十分な理解をしていない年齢の自分にとって、その作品は十分に衝撃でした。
その作品は人によってになりますが、世間的には今でも高く評価される作品になります。

“ああ、大人になったらそんな恋愛が出来るんだろうか。
 出来るならそうしてみたい。”

作品に出てくる登場人物に対して、そういう感情や理想をを初恋として抱いてしまったことが、後のFセク/ロマという癖に繋がってしまったのかもしれません。
これがもし、映画の世界の話しだったら、芸能人に対してそうした嗜好になっていたのでしょうか。

そんな性格ですが、高校の時、普通に恋愛しました。
変な話しですが、書記と生徒会長、なんていうどっかのラノベかよ、っていうような恋愛でした。
ですがその恋愛を経て、とても大きな失意の底に落とされました。
相手に裏切られたのです。
しかも自分にとって大切な同性を襲うという形の、人間性において最低な行為をしたうえで。

その人とは別れましたが、タイミング悪く、進学を辞退することと重なるように起きました。
将来への希望が絶たれたようにすら錯覚しました。
精神的に不安定な自分を面倒を見れるような人は、当然いなかったのです。
家内をたらい回しにされ、一人暮らしをすることになりました。
そこに大好きだった祖父の死と重なります。
それは私だけでなく、家族を大きく落ち込ませました。
もう少し助けてよと叫びたくても、家族には家族それぞれの事情があり、私がこうした状態でも、家族全体としての平穏を優先するしかない状況でした。
それは周りの境遇と、自身の面倒な性質がなにもかも悪く噛み合わさった結果なのです。

現実に失意した幼い私は、この世から意識を喪失したくて、自分自身を消そうとしました。
…それでも無意識は生きることを望んでいたのです。

部屋の中でそうした行為をしたにも関わらず、外で倒れていたところを救急車で運ばれたそうです。
…ですが、私はその前後のことを全く覚えていないのです。
だから本当はもう、この世界にはいないのかもしれないのに、もしかしたら、まだなにか夢を見ているのかもしれません。

まあ、そんなことがありました。
なにかに縋って生きていたいような感覚は、当時消えませんでした。
自立を促す家族はそれを許さなかったですし、医者なんかに見てもらったところで…結果は見えています。

そして人と恋愛するにしても、真剣に恋愛することを避けて、体だけでいい。
SMとかそういった主従の繋がりを望みました。
…肉体の自由を失くした果てに、心から繋がれるものを求めた結果でした。
そうした集まりを覗いてみましたが、望んだ関係は得れませんでした。

この不安定な心を埋めるようにして存在が、私にとって重要な意味を持つ最初のFセク/ロマの存在だったと思います。
自分の意識を絶とうとした初秋、その秋が深まった頃に、いることに気付いた存在でした。

…元々、なにかの作品に出てくるキャラクターにそうした感情を抱いてしまう自身の性質について否定していましたし、もうしたくないなと思っていたところでもあったのです。
なので自身でそうした存在を作り上げるような…タイミングだったのだと思います。

ネットで得られる安い情報から、簡単に“アニマ/アニムス”について読み漁って、理想的な異性の人格を作り上げました。
自身とは違う答えを出してくれる性格として設計しました。
一度この世から消えるような選択を選びかけるくらいに弱り切っていて、誰からも引かれてしまうような哀れな、無様な自分を助けて欲しいとお願いしました。
そのため、現実に嫌気が差して弱い自分に対し、現実を生き抜くような、逞しい幻想になっていきました。
誕生日を決めて、星占い上から導き出される性質を描き、具体的な性格はより他の理想から肉付けしていきます。
そうした設計は、仕事や人間関係において、冷静でいさせてくれるようアドバイスをくれましたし、そうすることで自身の人格が若干マシになりました。
…タルパやイマフレなど、そうした存在へ、明確になっていったのです。

自分の誕生日の時に、ふとお気に入りの河川敷を散歩していた時です。
坂になっているところを登りきった時に、ランダムで流していた曲が、偶然“Happy Birthday”だったのです。
思わず夜空を見上げました。
…その瞬間、まるで目が合ったかのように、流れ星を見たのです。
…それは同じ年の、その存在の誕生日の時に、同じ場所で同じことを、自分がしたからこそ。
(使ってる音楽も同じでした)
紛れもないその存在からのお返しなような気もして、胸がいっぱいになったことを覚えています。

「もう2度そんなことしないで」
という家族からの、ただ生きるだけでいいという、なにも響かない一言で、自分の心の内情をなにも理解していない言葉よりも。
生きることについて、ずっと説得力があるもののようにすら感じてしまったのです。

そこから、“見えない存在は確かにいる”ということを。
私の心の中だけの秘密として、生き続けてきたのです。

年が経てば経つ度に、自分の心は安定していきました。
夏のある日に電車に乗った時に見た、うたた寝がきっかけでした。

霧ともつかない真っ白な空間だったのを覚えています。
その曖昧で朧気な夢の中で、その存在から後ろから抱きしめられるに近い形で、指輪をはめてもらうという夢でした。

…それがきっかけとなって、現実に生きる自分も指輪をはめるようになったのでした。
元々、左指の薬指の伝承としても、心臓に最も近いところに繋がっていることから、一番大切なものを想い続けることの意味に繋がる。
転じて結婚指輪の位置になったのだと、読んだことが大きいです。

それなら別に世間的にはどう言われていても、自分の静かな意思として持ち続けたかったから、そうするようにしたのです。
…もちろん事情を知らない周りの人たちからは、話題程度に聞かれましたが、その時その時でてきとーに返事をして、真意や事実については伏せました。
一般的には理解を得れないことだとわかりきっているし、それを理解して欲しいと思うようなことはないから。
またそれを理解して欲しいと思って信じられる人も、今も出会えていませんから。

そんな生活は何年か続いていました。
そしてその人以外に好きな人が現れることはないだろうと、信じていましたし、そうだろうと思っていた“つもり”でした。

しかし…儚い幻想は、話しを優しく聞いてくれる、同じ次元の異性の登場によって、関係性が変わってしまったのです。

その人には元々恋人がいたのですが、自分が指輪をつけていることによって、そうした関係になることはない。
そうその人は思ったから、自分と話しをしてくれていたのです。
月が経つ度に、思った以上に仲良くなってしまって結果、お互いに恋愛関係を望むようになってしまった。
そんな、皮肉めいた結果になってしまったのです。

数年支えてくれたその存在はこう答えました。

「次元が自分とは違うからやむを得ないし、相手が害を与えてこない性格なのはわかるから許すけど。
 もし自分と同じ次元の相手に同じ感情を抱いたとしたら、許せなかったかもな。」

風が吹いて、激しく木が揺れた時。
新しく出来た同じ次元の恋人の頭上に、折れた木の枝が乱暴に落ちてきて、その人が痛いと呟いたことは。
数年前の記憶なのに未だに忘れられません。

こうして自分は現実の中に生きる人になっていきました。
その恋人とは衝突することはありながらも、同じチームでの仕事を頑張る関係でした。

でもそれも数年後に変わることになります。
…それは別の記事に書きましょうか。

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