見出し画像

ダービーの前と後の物語〜キングカメハメハとコスモバルク〜


ダービーには物語がある。

物語というと大げさかもしれないが、競馬ファンには誰しも、ダービーと言われたら思い描く風景、思い出があるだろう。

当のダービーに出走する馬にだって、ダービーを目指すまでの物語、ダービー後の物語はみな異なる。

レース一つ一つに関係者の思いはあるだろうが、ダービーというのは特別である。

特別のうちの特別なレースだから、前と後の物語が面白い。

そういった観点から、自分の思い出と合わせて書いていきたい。

2018年5月27日、新宿アルタ前の大型ディスプレイ、アルタビジョンでダービーを眺めていた。

思い入れがあるわけではなしに単純に新宿winsは混んでるし、馬券だけ買って、たまにはそれもいいかもと、ただそれだけ。

一人でアルタビジョンを見上げていると、付近に似たような境遇な人もちらほら。一人でいても、レース前のドキドキは変わらないもの。

待望のレースが始まり、にわかに騒々しくなり、最後の直線ではみな思い思いの馬名や騎手、馬番を叫んでいたり、呟いていたり…。

そこで勝ったのは、ワグネリアンと福永祐一騎手。

ワグネリアンがゴールを突き抜ける時、密かに感動。それはもう、ハズレ馬券が気にならないほどに。ああ、ついに福永騎手が勝ったのか、と。

ダービーを勝てないと言われていた福永騎手に、待望の勝利をもたらしたワグネリアン。

レース後のインタビューでは、福永家にとっても待望でした、と語る姿が印象的でした。

とはいえ、ここでは福永騎手のエピソード語ると延々となってしまうので、感動の背景には幾多の苦労話や失敗、これまでの物語があるよ。とだけ書いておきたいのです。

繰り返しにはなりますが、ダービーにはというか、競馬には、必ず舞台裏にドラマや思い入れがある。それは当事者はもちろんのこと、観ている側にだって当然にあるのです。

ここからは自分の話をしたい。

冒頭、観戦する場所について触れましたが、実は後にも先にもダービーを東京競馬場の現地観戦したのは一回だけ。

それは、

2004年、キングカメハメハのダービー。

あえて言いたいのは、これはコスモバルクのダービーだ、と。

一般的には勝った馬の名前をレース名に足すだろうが、あえてそうしたくない。負けてなお、記憶に残る。物語として自分の中に刻まれている。

暑かった日。だそうだ。

実を言うと、当日のことはほとんど覚えていない。誰かと一緒だったとは思うが、うる覚えだ。

ただ、覚えているのは、4コーナーで手応えが怪しくなったコスモバルクと、直線突き抜けるキングカメハメハの圧倒的な強さ、だ。

その光景を眺めて、一つ思ったことがある。

ダービーを勝つということはこういうことだ。

コスモバルクを観に行ったレースだが、キングカメハメハというダービー馬の強さを思い知らされた。

少しだけ解説すると、

コスモバルクは地方競馬の一つ、北海道の門別を中心に活動しているホッカイドウ競馬に所属していた、いわゆる地方馬だ。

登録上もJRAになく、当時は交流指定レースしか出走できない。G1にはトライアルを使って権利を取らないとダメ。

なぜかダートよりも芝の方が得意なようで、2歳からJRAの芝のレースを連勝、皐月賞トライアルの弥生賞を勝ち、クラシック出走を実力で掴みとった。皐月賞はダイワメジャーの、2着と惜しい競馬。判官びいきではないが、マイナー血統な地方馬でありながらJRAのクラシックで活躍するというのは、オグリキャップを彷彿させ、また、オグリキャップはクラシックには出走出来なかったのだから、ロマンを感じるファンは多かっただろう。当時の自分もその一人だった。

ダービー前までの物語はとてもロマン溢れる。

そして迎えたダービー当日。

コスモバルクは2番人気に支持された。

一番人気はキングカメハメハ。

毎日杯からNHKマイルカップを圧勝し、史上初の変則2冠を狙う。これまでの現実的な強さで評価された。

レースはマイネルマクロスの大逃げで始まり、コスモバルクはスタートよく、離れた2番手につけた。いくら離れてはいるとはいえ、マイネルマクロスの大逃げの2番手はなかなかしんどかったようで、マイネルマクロスをかわして4コーナーをまわってまでは良かったが、前半のハイラップが響き、直線では伸びを欠いた。

逆に先頭からは大きく離されてはいたが、中団に位置していたキングカメハメハは悠々と馬場の真ん中を突き抜けてきた。

最後はハーツクライの追い込みがあったものの、キングカメハメハは難なくゴールイン。

ダービーレコードで圧勝した。本当に強かった。

あのアンカツ騎手にさえ、誰が乗っても勝てると言わしめたほど、当時のキングカメハメハは凄い馬だった。

しかし、そんな強いダービー馬だが、秋緒戦の神戸新聞杯快勝後、屈腱炎により、引退を余儀なくされた。

あんなに強い馬がもういなくなってしまうのか。

あまりにあっという間の出来事だ。

強さを肌で感じさせてくれたダービー馬のダービー後の競争馬としての物語は呆気なく終わった。

強い馬だから種牡馬としての価値があり、無理して使う必要がないのは理屈としてはわかる。しかし、走っていれば、どれだけのレースを勝てたことか、ライバルたちとどんなレースを彩ってくれたか。

とはいえ、実際には種牡馬成績については翌年のダービー馬であり、三冠馬のディープインパクトとともに常に産駒はリーディング上位である。さらに子は大レースを勝ち、また種牡馬となってサイアーラインを繋げていく。

競争馬でなくなっても名を残していくのは流石の一言に尽きる。

一方、コスモバルクである。

ダービー後は長い闘いの始まりでもあった。

セントライト記念を勝ち、菊花賞に挑むも4着。勢いで挑んだジャパンカップ2着!

古馬になってからは中央に参戦するときはトライアルを使い、必ず優先出走権を取らないと芝のG1には出られない。春は日経賞で勝ち負けをし、天皇賞春に挑む。

秋はオールカマーから天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念。ジャパンカップ2着、有馬記念3着と惜しい結果はあるが、結局古馬になってからは9歳で引退するまで、中央の重賞を勝つことは叶わなかった。

しかし、運命のいたずらか、日本では出られるレースがないとして選択した海外遠征で優勝してしまう。

シンガポールエアラインカップ(G1)だ。

馬主の意向もさることながら、苦労しながらなんと海の向こうで栄光を掴んだ。

このようにダービーまでとダービー後の物語はかなり変わってくる。

ダービーという大目標を目指して多くの馬や関係者が尽力している。そこまでの過程はそれほど差はない。しかし、そのあとの物語というのは千差万別。

活躍する馬もいれば、不振に喘ぐ馬もいる。

新しい舞台に移る馬もいれば、コツコツと走る馬もいる。

もしも、今回のダービーでこれは!という馬がいれば、その後の物語まで追っかけてみてはいかがだろうか。

きっと、あなただけの物語が見つかるかもしれない。

ちなみに、2018年ダービー馬ワグネリアンの父はディープインパクト、母父はキングカメハメハ。そう、福永騎手の感動の影に個人的にダービーを印象づけたキングカメハメハがいたのだ。

こうやって、競馬は繋がっていく。

これも楽しみの一つだ。

さて、物語を背負っている馬たちと共に、今年も、ダービーを楽しみましょう。

サポートしていただくと、もれなく競馬の軍資金になります!