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どんな出来事も「糧」にする生き方の実践 食育×地域活性化 小西穣さん

小西 穣(こにし みのる)さん プロフィール
職業 株式会社アグリ&コミュニティサポート総合研究所 代表取締役
略歴 1971年 北海道江別市生まれ 学生時代は化学を専攻し、大手食品メーカーに20年余勤務
2015年 食育や地方活性化を民間ビジネスでサポートするため起業し現在に至る
趣味 料理、日曜大工、野菜づくり、子供と遊ぶこと

Q.今はどんな活動をされていますか?

小西 穣さん(以下 小西 敬省略)農業の良さを広く取り進めることや、地域を元気にするためのコミュニティづくりを支援するという想いを込めて「アグリ&コミュニティサポート総合研究所」という社名で4年前に起業し、地元の江別を中心に活動をしています。

 具体的には地域の行政や学校に働きかけて、食育のプロデュースを行ったり、地域における高齢者向けの除雪事業や、中小企業への支援としては、企業向けのコンサルティング、新規事業の立ち上げ支援から、人材育成や幹部育成などを事業としております。人生に無駄なことはなくて、これから起業する人や自分の夢を叶えたいという人に今までのマイナスなことも全て糧にすることができて、皆が輝くことができるということをお伝えしています。

 私自身も地元の町内会だとか、おじいちゃんやおばあちゃんや自分の親族に育てられたので、ちょうど起業した時も地方創生と言われた時期だったので、都会だけではなくて、地方・地域がいきいきとして、コミュニティが自立していくことが大事だと考えてここまでやってきました。

 今はよく地方創生とか、一億総活躍と言われる時代です。しかし私は一億総役割なのだろうと思っています。みんなが自分の役割をもってイキイキといられることがいいのではないかなぁと考えて、生産者と消費者を結びつけるだとか、国産野菜の美味しさを伝えることや、コミュニティが自立・自活していけるようなことをビジネスとしてやっていこうという気持ちでいますね。

Q.これから描いているビジョンにはどんなものがありますか?

小西 高齢化社会と呼ばれるなかで、介護保険や税金を使ったサービスなど様々なものがありますけれど、そういうものではなくて、コミュニティの中で生活していく高齢者たち、今は1人世帯とかも増えていますよね。そういう人たちがいつまでも元気にコミュニティのなかで生きていけるように会社としても貢献できると思っていますし、それができるサービスの体制を作っていくことが会社のビジョンのひとつです。

 食育に関しては江別や道央圏では広がってきたので、これを東京や本州でももっとやってみたいという気持ちもありますね。それと畑仕事や家庭菜園は健康にもいいし、野菜の美味しさを家族に伝えるのにも、とてもいいことだと思っているので、ゴルフのようなレジャーから、家庭菜園や貸し農園にお客様を呼び込むことを自社のビジネスとしてやっていきたいですね。

 子供たちへというところで言えば、今いる大人が頑張って子供たちにいい未来を残せたらと思っています。その時に僕ができることと言えば、安心できる野菜とか食べ物だとか、自然環境、元気のあるコミュニティ、こういうものを自分の子供たちに残していけたらと思っています。
  
 だけどこれは自分の子供たちに教えたりとか、僕の遺産だけではできないじゃないですか。美味しい野菜を作ってくれる人だとか、安心の食品を支える消費者だとか、コミュニティで元気に頑張る高齢者や地元市民の方、地域密着型の企業とかがあって初めてできるものなので、自分の子供達へ愛情が原動力として少し利己的な動機と自分でも思っていますが、社会をよりよく創っていくことが自分の子供のためにもなるし、自分の今まで支援して来たことにも繋がるなぁと思いますね。

Q.具体的な計画や日々実践していることはありますか?

小西 小さなことで、面白いパターンができないかなと思ってトライアルしていますね。コミュニティ農園をやってみたり、異業種との連携だったり、美容師さんと食育をやるだとか、違うポジションのかたと、今やっているサービスを共同でやってみるだとか、少しずつ試している感じですね。

 そういった様々な人たちとコラボするときにも大事にしている食育の考え方のひとつに健康に繋がるものが本当においしいというものがあります。おいしいと感じないということは体に悪いかもしれない。苦い野菜を食べれないのは、まだ体がそれを毒物だと思って、免疫的に食べないようにしている現れだったりとかね。酸っぱいものが食べられないのは、本能としては腐っているかもしれないので、食べられないというのは正しい反応だったりするんです。本当においしい野菜であれば子供達も喜んで食べるんですよね。そういう美味しさと健康を仕組みとして考えられるようになると皆楽しんでくれますね。

 赤ちゃんも甘いものや、旨味のあるものを美味しいってよく食べるんです。離乳食で酸っぱいものや苦いものはないですよね。認知症になったおじいちゃん、おばあちゃんも実は同じで、苦いものや酸っぱいものは食べられなくて、甘いものや旨味のあるものはごくごく飲んだり食べたりするんです。

 美味しいものの記憶って忘れられないもので、その記憶は無くならないのではないかと考えています。僕は「食べる」ということは本能というか、人間にとって一番大事なことなのではないかと感じています。ですが最近だと食べること自体への関心というものが子供たちも薄れていると感じています。

 僕のやる食育では子供たちが野菜だけしかないメニューでも美味しい美味しいとお腹一杯になるまで食べてくれます。これをお父さんお母さんに教えてあげたいと言ってくれたり、本当に鍋の底までつつくようにジャガイモの煮汁まで飲み干すぐらいに皆取り合うんです。そういった様子をみると食育の可能性を感じずにはいられませんね。

記者 感動の再現が起こることが素晴らしいですね。

小西 ここまで蓄積してきた技術的なノウハウとか演出とかはありますが、僕なりに生きていく上で大事なことであるという信念をもって教えています。毎年、感想文を皆さんからいただきますが、たくさんの子供達から「楽しい授業をありがとうございました」とか、嬉しい感想をもらいます。去年、お二人ぐらいの方から「僕の一生の思い出になりました」「僕はこのことを一生忘れません」という感想の手紙を頂いたんですね。

 当然、僕としては大事だと思ってこの仕事をやってはいますが、想いがちゃんと響いている、この子たちの人生に関わっているだということの証明がされた感じがして嬉しかったですね。

Q.今の食育を仕事にするようになったきっかけは何があったのでしょうか?

小西 大手食品メーカー(雪印グループ)時代は後半企画部門に所属していて、それまでに全国を8回異動しこれは同期でも一番の異動経験でした。特命のプロジェクトチームや総務・物流・企画・販売と様々なポジションに着かせていただきました。後半10年は企画畑にいて、国際会議の事務局などの特命や新規事業の請負人みたいになっていましたね。「今度こういう事業をやるんだけどマーケティングはお前やってくれ」みたいな。新工場の建設現場や、新規プロジェクトチームの事務所に一人で入り、最初に事業のお膳立てをして、そこに後からほかの人が来るみたいな感じで、先遣隊みたいな形で0から1を作る仕事が多かったですね。

 そのなかでちょうど5年前ぐらいになりますが、食育に出会ったことが今の起業のきっかけのひとつになっています。最初は食育のボランティアのような、酪農についての出前授業(学校に赴いて授業をするもの)をするものだったんです。最初は酪農だったので、牛の体についてとかそういった話をしていたのですが、そこから偶然「野菜の指導をできるか?」という依頼が入るようになりました。僕はもともと技術的セクションやマーケティングの部署にいた時から野菜づくりもある程度詳しかったこともあり、小学校に出向いて、野菜を実際に児童がつくるという授業を半年ぐらいかけて行うようになったんです。

 そこで目覚めたというか、出会ったというか、衝撃を受けましたね。小学校4年生くらいの子供たちが、最初は落ち着きのない感じだったのが、命の大切さとか、責任をもって育てること、命をいただくということ、食べるということを通して伝えていくときにどんどん目の色が変わっていくんですよね。集中力も半年の間に凄く高まって行く。野菜嫌いの子供たちが野菜の収穫祭をやると、野菜だけの料理なのに、お腹いっぱいになるまで食べるんです。その時にこれをライフワークにしたいと強く思いました。起業する前の話で、その当時に家族にも一生、これを仕事にできたらいいなぁと伝えたのを覚えています。

 最初は大手食品メーカーという全国企業の力も借りながら、感動を多くの人に伝えられたらと思い、会社のほうにもっと食育が大事だとか、消費者にいいものを伝えていくことを民間企業としてもやっていかないといけないと提案した時に、民間企業は収益が出るかどうかという判断もあるので更なるゴーサインはありませんでした。今でこそCSRとかCSVとか、とても大事になってきていますけど、当時の企業はそこまでの意識ではなくて、収益との融合とか、営業の発展性が具体的に見えてこない場合は、どうしてもボランティア的なところになってしまうので、会社としてはそこまで力を入れられないという判断だったんです。それを聞いて、じゃあ、これは自分で会社を創ってやってみようと思って起業することにしました。

記者 雪印時代にも普通のサラリーマンでは味わえないような沢山のご経験をされてきたのですね。

小西 会社員時代に経験したことは、食育の体験のような素晴らしいこともありましたし、中には大変な経験や辛いこともありました。

 入社したての頃に研修の一環で、牛用の飼料工場で勤務し、新人だったので下請けの協力会社に入っての仕事に就きました。牛の餌を輸送するバッグを選別し洗浄する作業で、そのバッグ運搬して、農家に納めるときに牛の糞がついたりする場合もあるんです。それを工場に回収するときにクリーニングや破損の点検をするということをやるのですが、その時に自分達も汚れたりするお仕事なんですね。昔はその仕事も正社員がやっていたのですが、当時は既に協力会社に任せている下請けのような仕事で、それを僕の同僚は「正社員なのに何で俺たちがやるのか」とか言っていたのですが、僕はこの時「これは絶対にいい経験になるから黙ってやろう。できれば効率的にやろう。」というような話をしたんですね。その時、下請けの人たちと雑魚寝をしたり同じ弁当を食べたりと、常に現場の人と一緒に過ごしたんです。

 当時、僕のなかではこれも大事な会社全体の仕事を知る勉強のつもりでやっていたのですが、それから15年が経って、東日本大震災があったときに、僕は当時、物流部門のリーダーのような役職についていて、苫小牧工場から農業用の救援物資として牛の飼料を毎月3000トン製造し、輸送しなければならないミッションがありました。動物の生命という事と、営農基盤と言って東北の生産者の皆さんが生きて行くために牛も大切な営農の資源ですから、苫小牧工場の協力会社へ頼むから徹夜での製造をしてくれとお願いに行きました。その当時は24時間稼働したことが無い工場だったのですけれど、現場の人たちから「小西さんは昔、若い時に私たちと同じ気持ちで仕事をしてくれたから、偉い人が来たらごねてたかもしれないけど、小西さんが来てくれて指揮をしてくれるのであればやるわ」と言ってくれたんです。

 そういう経験があると辛い時だとか、これ苦労したなと思うことも、10年ぐらい経った時に本当にあの経験をしてよかったなぁと思う時が必ず来るというのが僕の実体験なんですよね。いろんな企業のコンサルティングとか、若い人向けのセミナーでも辛いことがあったり苦労するときがあったとしても、絶対に10年後ぐらいに経験してよかったということがあるので、始めにお話ししたようなネガティブなことも武器にできれば、強さにできればということと繋がっていたり、人生無駄なことはないというところと繋がっていますね。

 今も自分の会社の将来像とかビジョンを固めるときに、自分の中とか会社の中に眠っている資源はないかな?って考えますね。周りの流れだけで決めるのではなくて、経験に裏打ちされたものがあると思うので、それぞれに秀でていることや得意分野やセンスがあると思うので。

 ライバルに負けそうなときとかお客さんにサービスの解約をされるときも事業をしていると多少はあるのですけれど、そんな時にこそ、それはきっと何か意味があるはずだとか、もっといい仕事ができることに繋がるはずだとかを考えるようにしています。

 小さい一歩を踏み出しながらチャレンジと失敗を重ねることで、時には信念としては諦めなくても仕事として諦めざるを得ないものもあるかもしれません。そんなときはその経験を通して手応えのあった事業へ資源を集中することを学んでいくことで、より自信をもったサービスを提供して伸ばしていけばいいんだと思っています。企業のコンサルティングでもそう伝えるとともに、自分の会社はコンサルティングのほかに実業も持った会社なので、まさに日々実践をしている感じです。

Q.失敗やネガティブな出来事があっても強みや学びに変えていけるようになったきっかけは何かあるのですか?

 小さい頃から労働的な家事をしないといけない環境だったことは大きかったと思います。江別市の中でも都市部に家がありましたが小学校時代から、まきを割って風呂を沸かすことや、味噌汁当番などほぼ毎日していました。空き地を借りて畑をやっていたりとか、友達が遊んでいる中で自分だけ家事だとか農作業をしないといけないので、始めは嫌でしたが、母親が田舎の出で、そういうことは自分でできないとダメだという考えの人でしたので今は大事な事を教わったと思っています。そのときにどうせやるならうまくやろうとか、段々と自分の身になるようにやろうと考えるようになりましたね。

 それからずっと20年以上、起業する前までは幼少期の経験の大切さに気づかなかったのですが、起業した時に今までやってきたことがすべて自分の血肉になっていることに気づかされました。

 サラリーマンの時も起業する時も自分のマインドとしてはチャレンジをすることが当たり前のようになっていて、それと同時に沢山の挫折を経験しましたね。8回部署異動もして、新規プロジェクトにも呼ばれることが多くて、いろんなところでセクション以外の上司と交流を持つことも多くありましたね。プロジェクトによっては建設現場の近くの民宿に社員も下請けも泊まる時があって、ちょっと大きい家庭のお風呂に皆で入るとき、背中流していいですかと積極的に関わったり、上司の部屋に酒を持って話したいですといったりして。上司からは、面白い奴がいると言われるようになりましたね。媚びを売っている訳じゃなくて、自分の知らない世界のかたと触れあうことが面白いんだと思い、行動にも移していました。

 そうやって色々なプロジェクトに呼ばれるようになって、後半はそれがプロジェクト請負人のようになっていったのですが、新しいことをやるので、当然ですが全員が知らなくて、やってみると失敗もあってお叱りも受けるときもあるんです。へこむ時や精神的に落ち込む時もありましたが、そういう時に乗り越える術だとか、辛いことも大事な経験だとちゃんと理解できるような思考になっていました。

 幼少期の頃に色々と母親が教えてくれた「生きていくための力」みたいなものと沢山のプロジェクトの中で失敗を経験したことが今に活きていると思います。

 得意分野だけでなく、ネガティブなことも辛いことも、全ての経験を糧(かて)にできれば。そう思って日々、実践しています。僕は「糧(かて)」という字が好きで、「プロジェクト創糧(そうりゅう)」という名前のビジネス研究会を時々やっているんです。クリエイティブの「創」にりゅうに当て字で「糧」の字を当てています。

 僕のこういった経験談を話したり、皆に役立つような技術をシェアしたりする勉強会なんですよね。会場は江別や札幌で開催しています。

 少しでも僕のこういった考えや失敗談で元気が出る人がいたらいいなと考えていて、起業希望者や、これからの人生をリスタートしたい人にお声がけをして少しでも元気になってもらって、夢や目標に向かって走ってもらえたらと思って「プロジェクト創糧」をやっています。


記者 貴重なお話を頂き、ありがとうございました。

編集後記
小西さんのお話を聞いて、ネガティブなことや辛いことがあったときにもどんな心で臨むのかの大切さを学びました。ちょっとしたやり取りにも人への心遣いを感じられる時間を頂けたことに感謝しています。

記者 堀江・菊地

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アグリ&コミュニティサポート総合研究所 HP http://www.ac-soken.com/
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この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

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