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タイトル無し

2023年1月末 祖父が死んだ。
熱が出て病院に行って次の日の朝、誰にも見られず息を引き取った。
誰も想像していなかった。
葬儀の喪主は祖母だった。
人が死んだあと、遺された人間はやることが多すぎる。
ゆっくり悲しむ間もない。

葬儀が終わり祖母の家に帰ってから、信じられないほどの量の花と骨壷に入れられてしまった祖父を目の前にして私は一人で自分の両親が死ぬ時のことを考えた。

両親のどちらが先に逝くかはわからない。
分かっているのは後から逝く方の親の喪主は私だろうということ。
わたしは長女だから。
その時わたしは1人だろうかと考えた。
その時は多分、ひとりじゃない方がいいかもしれないと思った。


2023年4月
自分の誕生日のあたりで、名古屋にライブを見に行った。
東京から仲良しの友達も来ていたので、同じホテルに泊まることにした。
夜は彼女の部屋で飲んだ。
わたしの誕生日だからと部屋を飾り付け、プレゼントとケーキまで用意してくれていた。
本当に嬉しかった。
待ち合わせして落ち合った時、同じような格好をしていて
「え、やば。うちら仲良しすぎん?」と二人で笑った。
(ちなみに、夏にはお揃いのワンピースを買った。仲良しなので。)

次の日は父の弟、私の叔父と出かけた。
松阪牛が食べられる店までドライブをした。
目の前で調理して下さるタイプのお店に連れて行ってくれた。
信じられないほどに美味しかった。
帰りに叔父は亀山のハイウェイオアシスに寄ってくれて
お土産に私の好きなお香やキャンドルなんかをたくさんたくさん買ってくれた。
「お前が遊びに来るで、予算決め取ったけど余ったから残りあげるわ」と
小遣いまでもらった。笑
叔父の接し方が、私が小学生だった頃と全く変わらず
いつまで経っても叔父にとって私はきっと「可愛い姪っ子」なのだろうと思えた。

帰りに空港まで送ってもらい、叔父と別れた。
搭乗口に向かって歩いている時、どうしようもなく泣けてしまった。
信じられないほどに泣いた。
セントレアから見る夕日がきれいで、それを見てまた泣いてしまった。

わたしは愛されていると思った。
それが嬉しくて泣いてしまった。

「好き」や「愛」は、恋愛感情のものだけではない。
いろんな形がある。

私は名古屋から自分の住む町に帰る間に
絶対に幸せになる。と決めた。
私を大切にしてくれる人とだけ付き合おうと決めた。

来年の誕生日、もっと幸せでいられるように生きよう。
私と私の周りにいる大切な人が幸せでいられるように頑張ろう。

そう決意した。

私の一番そばに居てくれた、その時は私の大切な人だった彼は
ただの詐欺師で、私の人権と貞操を蹂躙し気持ちを踏みにじる、最低な人間だった。
私だけじゃなく、私の周りに居る、私を愛して大切に思ってくれている
私の大切な人の思いも踏みつけられてしまったように思う。
それは絶対に許されることではない。

私は私の幸せのためにこれからも戦う。

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