Dear sister

すごく些細に見えることで恐怖を追体験することがある。

私の場合は彼氏でもないのに物理的に近い男性が苦手で。
これは他人から好かれるという好ましいことではなくて、
望んでいない身体的接触をしてこようとする男性たちへの嫌悪感と、それをどうにか切り抜けようとした数々の恐怖体験が思い出されるから。

性被害者の方の手記を読むと、心臓を鷲掴みにされた様に苦しくなるのは、私たちが傷つきながら生きてきた証だろう。
彼女たちほど凄惨でなくとも、
彼女たちになり得たと想像するような体験は
女性の多くが経験してきたことではないか。

嫌悪感に気がつくことで相手を傷つけてしまうかもしれないと
優しさ故に飲み込んできた言葉や、
恐怖故に取り繕ってきた笑顔や、
こんなのは傷ついたうちに入らないと、
認めたくなくて、なかったことにした気持ちがある。
でももし私が私の母親なら、これからの教育を担う立場なら、
少しの違和感は絶対にあなたを守るものだから
相手へ配慮するより全力で逃げ出しなさいと伝えたいと思います。
どうかみんなも子供に対して、姉妹に対して、友人に対して、自分に対してもそれを許してあげてほしい。大袈裟だとか自意識過剰だなんて言葉で傷つけずに。

人気のない夜道で後ろを歩く足音に逃げ出すのは襲われた経験があるからだし、
自分に伸ばされる腕を恐れるのはそこから逃げ出そうと足掻いた経験があるから。
虐待を受けた動物が、手を上げる仕草に萎縮するようなものなので
「俺は違うのに警戒された」と怒らないでほしい。

襲うつもりなんてない、少し話したいだけだ、とか
少し近づきたいだけだ、とか
少し触りたいだけだ、とか
あなたが少し、これくらいと思っているものが、相手には「少し」嫌な経験として「大量に」蓄積されている。

嫌悪することで身を守ろうとしてきた者、
あるいは取り入ることで、自分は傷ついていないのだと信じることで心を守ろうとしてきた者。
傷ついたと認めることは見て見ぬふりした過去の自分の愚かさを認めることのように感じてしまうかもしれないけど、
それは絶対に違うよって言いたくて。



なんでこれを文章にしようと思ったかって言うとね〜
先日学生時代お世話になった知人に会う機会があったのだけど、帰り際にハグされて頬にキスされたのが吐くほど気持ちが悪くて!笑

咄嗟のことにやめてくださいって言えなくて、その場では笑顔を取り繕ってそそくさと帰ったのだけど、
その時、「相手は挨拶のつもりだろうし、不快に思うのは悪い」って考えてしまったんだ。

でも恐怖感がどうしても消えなくて。
しばらく考えていたんだけど、悪いのは私じゃないよね?
私が嫌だと思ったらセクハラだし、配慮がないのは相手だし、なんで被害者が忖度しなきゃいけないの?と怒りが込み上げてきて。

そのままそっとブロックしました。

些細なことかもしれない。
でも思い返せばずっと違和感はあった。
笑って流さなければいけないって風潮に、自分の違和感を見ないふりした。
でもこういう距離感で、こういう我慢から性被害って起こる気がする。
そう思ったら、自分の感情を無視するのも、私と同じような誰かがこっそり傷つくのも嫌だと思ったの。

面と向かって言えなくてもいい。
どう思われてもいい。
勘違いだったとしてもいいから、
危険を感じる手前で逃げ出してほしい。

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