肉塊を持って歩く

 潰れた肉屋から連絡が来て、給料と食べきれない量の肉塊を貰う。

 その肉塊を持ちながら少し人生について考えた。肉塊を持ちながら考えたことは、肉塊を解凍しながらタイピングしている僕にはもう完全に思い出すことはできないけど、人生について考えてた。

 就職活動は別にうまくいってないわけじゃない。けどこのままでいいのか。肉塊を持って歩く。社会を変えたいとか、誰かを励ましたいとか言ってたニートをバカにしながら、僕だってどっかではそう思ってんじゃないのって考える。肉塊を持って歩く。大体の人間は大きなうねりの中ではきっと可換で、だけど自分はそうじゃないと思えることを出来るはずだってどっかで思ってる。肉塊を持って歩く。それを20代前半特有の万能感とか思春期の後ろ髪だって自嘲できるくらいには僕はきっと賢い。肉塊を持って歩く。だけど、それを自分の気持で折り合いをつけたり、じゃあ実際社会を変えてみせたりできるほどは賢くない。肉塊を持って歩く。肉塊を持って歩く。肉塊を持って歩く。肉塊を持って歩く。肉塊を持って歩く。

 人間の生肉を僕はみたことはないけれど、僕も死んだら肉塊になる。でも牛と違って死んでもその肉塊は二酸化炭素やらなんやらを出して、地球を少し温めるくらいしか機能しない。それなのに毎日食べて寝て冷房つけてる。肉塊はうらやましい。死んでもカレーになれて。


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