お前はもっと色々考えてるはずだ


 君は「刺激があった」とかそういうクソみたいな感想を安易に使って満足していないか。胸に心を当てて考えろ。別に「刺激があった」だけを批判したいわけじゃない。何かの感動を、感想を、安易な言葉で表現してしまっていないか。自戒を込めて書く。

 何だか自分より優秀であったり、尊敬できる人に出会ったり、貴重な経験をしたときに「刺激があった」という言葉をSNSで用いたり、当人に言ったりする状況がある。その様子を傍目に見ることも多いし、きっと自分もあまり意識せずに、その忌々しい表現を使ってしまっている状況も少なからずあったと思う。でも、「刺激があった」とかそういう便利な言葉で自分の感情を伝えるのはあまりに勿体ないことだと思う。

 言葉はデジタルで、感情はアナログだ。どんなに細かくサンプリングしても零れ落ちてしまうものはある。それは音響マニアみたいな話とか、可視光線をすべて網羅できないとかそういうレベルかもしれない。でも、僕たちが考えたことや心の動きはどんなに言葉や情念をつくしても表現しきることはない。すべてを他人に伝えたり、共感させたりできるものではない。

それでも、だとしても、その瞬間瞬間の感情や気持ちを伝えるのに安易な言葉を使う理由にはならないのだ。どうしても本当に伝わらなくても、後から自分が完全に思い出すことはできなくとも、できる限りの言葉を尽くして感謝や感動や何やかんやを伝えようと努力することはきっと無駄じゃない。それこそが、例えば自分にしかできないことであったり、現状のAIでは出来ないことだったりすると思わない???

 お前はもっと色々考えてるはずだ。何かを言い切る前に、送信ボタンを押す前に、一度自分に問いかけたい。

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