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我々はどこへゆくのか 〜Photoshopから百鬼夜行〜

はじめに

PhotoshopのFireFlyの統合が出ました。完全にゲームチェンジです。天使さんのツイートをいただきます。

昨日このニュースを聞いた直後にこんなことを呟きましたが、かねてから思っていたことをツラツラと書いてみたいと思います。

我々を繋いでいたもの

週刊MiSiMOを書く度に思うわけです。
私は誰に向けた何の情報をピックアップするべきか。
その問いは実はほぼイコール、自分を含め、我々はなんなのか、どこへゆくのか、という問いにも近いものがあります。

週刊MiSiMOを書き始めたときは、SDを使ってる方々に向けた技術トレンドまとめ的な要素も結構意識してました。技術的共通点というのが我々という繋がりを定義している面も強く感じていたわけです。

元々はワークフローもtext2image一発出しが殆どで、text2imageでわ~こんなのでたよーすごいってのを共有して楽しみ合う、そういう要素がかなりまだあったのです。

しかし、この数週間程度で、制作技術、特に、ワークフローの複雑化、細分化がますます顕著になってきたと思います。ジワジワとしかし確実に技術的共通点の希薄が進んできているなぁと感じていました。

そしてこの度のPhotoshopのアップデートです。それはもう一段大きく進むと思うと感じるわけです。

我々はなにものなのか?

では、使っているツールや技術などの共通点を完全に脇に置いてみた場合、我々はナニモノなのかを改めて冷静に考えてみると、本当に推測なんですが、
・AIがなければ作品を完成させられないひと
・AIがないときにはAIがあるときほどにはクリエイターではなかった人の集まり
なんじゃないかという気がしています。

故に界隈の皆様は、AIには、基本的に感謝している人達になりそうとも思います。

当初、この界隈に入りたてのころ、これどうやったんですか?と聞いて、あーこうですよ、とすぐに答える方が多いことは最初のうち私は結構びっくりしたものです。

今冷静になって思うのは、実はそうやって、技術共有に積極的な方が多いのもそういう要素があったからじゃないかということです。つまり、自分は普通の人、自分の実力とかじゃなくてAIがすごいからできた。すごいのはAI技術だから、人にも教えてあげても構わない、そう思える方が多いのかもしれない。

しかし、最近とこれからは、これどうやったんですか?というやりとりはより一層減っていくような気もします。みんなやり方が本当にバラバラになってくると思うから。

では我々はもう解散なのでしょうか?

不変なもの。我々はどこへ向かうか

ワークフローや使う技術の個人毎の複雑化が進んでいったとき、それでも不変に残るものは?という問いを常に考えております。
ざっくりとした考え方ですが、基礎研究から応用、ツールやワークフローから最終アウトプット、という流れで言えば、言うて端っこの部分はそうそう変わりにくいなと感じております。
1つの端、起点は機械学習に関する基礎研究関連の技術。これらっていうのはなかなか変わりにくい。stable diffusionなどの機械学習のベースアイディア、アルゴリズムというのはさすがにそんなにバンバン進化していかない。まぁイメージで喋っておりますが。
肝心なのは、もう一つの端、終点となるこちらはクリエーションの結果の作品そのもの、私達が日々生み出して見ているもの、を指します。こちらの終点について思うことは、クリエーションへの欲求を共有すること、作品をみんなで楽しむこと、というのはどんなに中間層のツールやワークフローが変わっても共有可能な悦びだろうということ。

実は、一時技術ネタに傾倒過ぎた週刊MiSiMOを再度、企画やコミュニティ活性に関連した話題へ意識的に戻したという経緯があったりするのですが、それはこちらの端の作品そのものは不変なものとして大切に取り扱いたい、そういうマインドによるものでした。

これから皆様が使う技術ややり方はより一層バラバラになると思う。が、あるお題についてみんなで取り組んで作品をたたえ合う、一緒に楽しむ、そこの根っこの部分は変わらないだろうなと感じるわけです。
こういったコンセプトと最終作品だけによって繋がるコミュニティは、まさにこれまでの非AIのクリエイターの活動とコミュニティにそれに近づいていくことを意味している気もしています。

一方で我々は、AIへの感謝がある、元来の非AI状態でもクリエイターだった方へのリスペクトがある方が多いと思われるので、
最終作品とコンセプトの繋がりながら、しっかりと、「これはAIを使った作品です。AIがなければ私にはこんなもの作れませんでした」と声を大にしながら作品を公開していきたい、そういうレギュレーションの下に自ら入りたいと感じるのではないかと思う。

百鬼夜行

週刊MiSiMOを立ち上げたとき、renaさんが企画してくれた百鬼夜行企画というのがありました。

本当にみんなクリエイティブでみんなで楽しみまくってたと思います。あの雰囲気と熱量がコミュニティの中心にあったと思う。
技術の共通性も高かったから色んな方同士の連携が有機的に繋がっていた。それらひっくるめて、これは素敵だなと思ったから、残したくなった、というのもあります。
結局はその形に戻っていかないかな、その形こそ根源的欲求であり、最終形だよなと思うわけです。

ちなみにこれは当時私が召喚失敗した河童です。


まとめ

センスのあるコンセプト企画こそが我々が我々として永続的に楽しめる秘訣なのではないか、と感じているわけです。

というわけで、タグ企画なりなんなりどんどんやろう、みんなで楽しもう。


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