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坂の上の雲と現代のリンク


司馬遼太郎さんの代表作「坂の上の雲」をご存知だろうか。
明治維新を経て、経済力が乏しいにも関わらず西欧諸国に追いつこうとする小国日本。そして日清戦争と日露戦争の勝利まで、日本がどう振る舞ったかをドラマチックに描いた名作だ。

この作品は2009年から2011年にかけてドラマ化されたのですが、冒頭のナレーション(渡辺謙さんの渋い声がまたたまらない!)に注目したい。

農業と絹しか産業のない日本がヨーロッパと同じように海軍と陸軍を持とうとした。財政の成り立つはずがない。でも、西欧諸国に負けないような国力をつけるのがそもそも維新の目的だったからとにかくやるしかなかった。

なぜ、そんな無茶苦茶な目標に向かうことができたのか。

それまでの日本は武家社会。つまりは士農工商で階級が分けられていて、武士の子供は武士に、商人の子は商人に、農民の子は農民にしかなれなかった時代である。それがある日を境に全員が「国民」になった。どの家の子もある一定の資格を取るための努力と根拠があれば、軍人にも教官にも官吏にもなり得た。

これが当時の人たちにとって、どれほど衝撃的なことだったかを一度想像したい。
今まで家を継ぐのが当然。やりたい職業があるけど生まれが農家だから無理に決まっていると諦めていたことを「今日から将来の仕事は自分で決めて生計を立てなさい」とお達しが来たのだ。


多くの青年が「まじで!?好きな職業につけるのか!!」と驚き、喜びに震えたことだろう。

一方でそんなこと言われたって、武家の子として一生安泰だと信じ切っていたのにどうすれば良いのだ!」と呆然と立ち尽くした者もいたことは言うまでもない。

当時、日本を飛躍的に成長させたのはもちろん前者の方だ。司馬遼太郎の言葉を借りるなら「この高揚感を理解できなければ、本当の意味でのこの時代はわからない」そうだ。今まで窮屈に押さえ込まれていた枠組みがなくなった国民から芽生えた「楽天主義」によって日本は爆発的なスピードで近代化への階段を登っていく。この少年のような心が階段(あ、坂ね)だけでなく、登り切ったその上の雲まで掴みそうだったという例えだ。


あれ、何かに似ていませんか?
公務員は一生安泰。一流大学を卒業して一流企業に就職。エリートとして死ぬまで悠々と暮らすんだ。
うちは貧乏だから高校なんてとても通えない。中卒だから一生貧乏から這い上がれない。


徐々に成果主義とか、学歴より資格だとかちまちま言っていたけど、この図式はコロナにより決定的に崩壊した。
「コロナで自粛だけど、インターネットで好きなことができるー!」とフリーターからYouTuberになって好きなことを毎日している人。
「そうはいっても、せっかく苦労して入社した大企業だもの。厚生年金だってもらいたい」とすがっている人。


そう。現代のこの状況は実は維新後の激動の時代と酷似しているのだ。恐竜が滅亡したのは、大きいことが偉いと勘違いしていたからだ。生き延びたのは大きな変化に適応できた虫や小動物だった。
そして、明治以降の日本で活躍したのは、その変化を楽しみ、わくわくしながら自分を信じることのできた者のみだ。


さあ、今までの常識や枠組みを捨てて、変化を楽しもう。どの家の子もどの学歴の子も好きでさえあれば、映画監督にも記者にも歌手にもなれる。なんだってなれる。この素晴らしさを噛み締めて、その手に握りしめている古い価値観をを手放そうではないか。




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