俳句と“からだ” 192  髙田正子著『黒田杏子の俳句櫻・螢・巡禮』


 髙田正子著『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』が出版された。黒田杏子の誕生日2022年8月10日を発行日とする記念すべき大書である。黒田杏子の俳句を弟子の髙田正子が季語を中心としたキーワードで丁寧に読み解いている。本書は藍生俳句会結社誌「藍生」に「テーマ別黒田杏子作品分類」として2019年1月号から2021年12月号まで連載された文章の再構成である。
 
髙田の文体は静謐で精緻、平明で自然体である。しかし、その筆の奥に深い読みが記されており油断ならない。冒頭の「『はじめに』代えて 黒田杏子の〈葱〉』と題された「まえがき」も師との出会いを書きながら、〈葱〉に纏わる様々な考察をさらりと示しているが、その内容には驚かされる。
 
白葱のひかりの棒をいま刻む(1977)
この冬の名残の葱をきざみけり(1993)

髙田はこの両句を対比して後者を「直感的に歳月が詠ませた句だ」と推測する。何故なら「平成五年(筆者註:1993)の杏子は五十代の半ば。変わらず溌剌としていたが、還暦やら定年やらが意識される年ごろ」だからだ。髙田は続けて「作者の現在が、作者に選びとらせる言葉があるということを、私はこの句から教わったのである」と深く学ぶ。優れた弟子は常に学びの触手を伸ばしている。かくして読者は髙田正子と同行二人、杏子俳句の巡礼に旅立つこととなる。

 黒田の既刊七句集に収められた〈葱〉の句はたった六句である。その意外性を髙田は「え!これだけ?」と驚きを隠さず記している。読者も同時に「なるほど、そうだったのか!」と肯うだろう。こうしたメリハリのある文章がともすれば黒田俳句の堅苦しい資料集とも成りかねない内容を親しい読み物としている。

 髙田は黒田の〈葱〉の句の数が少ないことに対して「詠んでいないのではなく、句集に残していないのだと悟った」と述べる。それは黒田が『黒田杏子句集成』のあとがきに「句集に収めたいと思う作品は、自分のこころとかたち、想いの深くしみこんでいるものという自選基準」と認めているからだ。

 さらに髙田は黒田の師である山口青邨の〈葱〉の句を紹介する。青邨の十三冊の句集に葱の句は九句あるという。

 楚々として象牙のごとき葱を買ふ
 葱白く象牙の如し肉と飾る

がある。前者が1950年、後者が「ひかりの棒」と同じ1977年である。象牙からひかりの棒への飛躍。髙田は〈葱〉を「オブジェ」と見る青邨と「刻む」杏子の違いと読み取る。(以下次号)