私がどのようにしてガチEDHに嫌気が差し、そして独楽やソルリンまでデッキから抜き出したのか

 皆さんご存じの通り、MtG(マジック・ザ・ギャザリング)にはEDH、現在では統率者戦と呼ばれる遊び方がある。
 大雑把に説明すると、ジェネラルを決め、それに一致するカラーのカードのみで100枚のデッキを組んで主に4人で戦う遊び方である。
 デッキ構築の自由度が途方もなく幅広いため、マイナー部族の博覧会を開いたり、デッキ全てをFoilにして自慢したり、ストラテジーゲームの様な一進一退の殴り合いを仕掛けたりできる。その一方で勝利をとことん追及して、コンボで対戦相手全員を一度に倒すことも可能だ。

 今回私が議題に上げるのは、一般的に"ガチ"と呼ばれるデッキの中でもコンボデッキの方である。あらかじめ言うが、私はコンボデッキ自体も、それを使う人達も否定することは無い。他の3人が殴り合いを所望している場合は、デッキを変更する等の気配りをするべきだろうが、全員がコンボデッキを使う場では存分に暴れまわっていただきたい。
 かくいう私も以前は一切の妥協が無い"ガチ"のコンボデッキを使っていた人間であった。デッキは複数所持していたが、どれにも理論上では1ターンキルが可能なコンボを搭載していたし、実際にほとんどの試合が5ターン目には決着が着いていたと記憶している。
 そんな私が単純に”ガチ”と呼ばれるコンボデッキに飽きた、心底愛想が尽きた、というだけのことである。ちなみに、これ以降の内容は大前提として、当時私が参加していたキチガイガチデッキコミュニティでの話であることを念頭において読み進めて欲しい。

 恐らく最初に違和感を覚えたのは、霊気紛争で《パラドックス装置》が収録された時だったろう。このカードの登場により言葉通りに全てのデッキの終着点がこのカードになった。もはや全てのデッキのジェネラルが《パラドックス装置》になったと言っても過言では無い。同じく霊気紛争で登場した《歩行バリスタ》も無色であることが相まって、この2枚が入っていないデッキなんか存在しなかった。
 つまりはこの2枚をサーチするカード、そのサーチカードをサーチするカード。追加ターンにカウンター。そしてお決まりのドローカードとマナファクトでデッキが構成されていた。
 この組み合わせが一番強いのだから、どのデッキもこうなるのは当然であった。
 さて、こうなるとガチデッキ卓がどうなるか。多くのデッキでジェネラルがただ色を示す置物、いわゆるカラーマーカーと化した。もっとも元々ジェネラルを利用しないデッキも存在してはいたが、それに拍車が掛かった。
 当然5色をフルに活用した方が強いので《アラーラの子》や《大祖始》、《クロウマト》なんかも使われた。そもそもジェネラルを唱える気がない(唱える=無駄)ので、求められていたのは【伝説のクリーチャー】であることと【5色】であることだけだった。
 もちろん上記に当てはまらない《悟った達人、ナーセット》や《巨大なるカーリア》、《アーカム・ダグソン》、《クローサの庇護者シートン》等も活躍していたことは忘れていない。

 ちなみに当時の環境は5色の中で飛び抜けて青と黒が強かった。次に緑、間が空いて赤と並んだ。白はとにかく弱かった。EDHは青黒赤緑の4色のゲームと言われるほどに存在感が無かった。5色コンボデッキでも《Plateau》だけ入っていないこともあった程だ。白で使われていたカードは《悟りの教示者》と《オアリムの詠唱》と《沈黙》くらいではないだろうか。どうしても空きが発生したときに、仕方なく《剣を鍬に》や《流刑への道》が入ったかどうかだった。
 だからジェネラルで勝つデッキ以外は青黒が最低条件だった。そして強いデッキの結論に近づくにつれ、多くのデッキの中身も似たものになっていった。土地とジェネラルを除いた約65枚の内、実に90%以上は同じだったろう。デッキの差異や創意工夫はわずか数枚でなされた。色も同じだったりするとジェネラル以外の95枚は全く同じと言っても大げさでは無い環境だった。
 それをつまらなく思った私は次第にコンボデッキを使う頻度が少なくなり、代わりに同じ"ガチ"でも殴りジェネラルを愛用しだした。その代表である《暴動の長、ラクドス》はかれこれ7年以上使い続けている相棒だ。

 完全に目が覚めたのはテーロス還魂記が発売されてからだった。具体的には《タッサの信託者》が決定打であった。《Demonic Consultation》や《隠遁ドルイド》でデッキを全部墓地に落として《ナルコメーバ》や《命運縫い》を戦場に出して《タッサの信託者》を《戦慄の復活》で戻す流れ作業である。
 目が覚めたというより、今まで気付いてはいたが目を逸らし続けていたことに正面から向き合ったという表現が適切かもしれない。
 コンボデッキを回し続ける限り、4人でやるガチEDHはただの手順の確認作業でしか無いのだ。ゴールは《タッサの信託者》か《壊死のウーズ》。行程も途中の妨害も着地点も何もかもが想定通りになってしまった。
 4人の内誰かがコンボを開始すると、カウンターを持っていても打ち消すことも無くさっさと次の試合を始めるようになった。
 ここまでいくと、もはや4人でプレイする意味も私から失われた。レシピを考える、リストを見るだけでコンボの流れが脳内で組みたてられる。逆説的ではあるがその脳内映像が現実以上でも以下でも無いことを知っているため、実際にデッキを組む必要すら無い。
 EDHという競技から一切の味がしない状況になったのだから、ガチEDHは当然卒業した。

 それからというもの、ガチの反動により私のEDHへの思考は完全にねじ曲がってしまった。EDHのデッキを組む際にフェッチランドや独楽やソルリングは"強い"という理由で採用しない癖がついている。
 強いカードを使って勝つのは簡単だから、自分を表現できるカードだけで遊ぶようになった。デッキ構築の時点で目的が勝利から自己表現に変化しているのは精神的に大きなプラスだった。
 デッキテーマを決めて、そのお題に沿ったカードだけを入れる構築にこだわる。そうすると、テーマに合わないという理由で5色だけどカウンターや除去といった妨害手段が一切入っていないデッキが完成したりする。
 当然勝率は低くなるが、ガチEDHをやっていた頃とは比較にならないくらい楽しめている。

 今の私はEDHをパーティーゲーム、ボードゲームの1種と捉えている。皆で楽しむことが一番重要で、勝利は副産物だ。
 ガチのEDHに疑問を持った方は一度すべてを捨て去って、いっそ構築済みで遊ぶことをお勧めする。
 友人との会話をメインに据えて1時間くらいグダグダと遊んでみてほしい。これまでとは全く違った景色が見えてくることだろう。
 そこに心地よさを感じてくれたら私も嬉しい。

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