ひとりっこ、隠れた事情

 ムスメは、ひとりっこである。

 ムスメがまだ小さいうち、よく「2人目は?」と尋ねられた。余裕のない頃は、その言葉に深い意味があるわけでも、悪意があるわけでもないと分かっているのになんだか落ち込んだ。「2人目が欲しいなぁ」と思えない自分に、どういうわけか落胆していたのである。「(次の妊娠・出産を望まないということは)私は実のところ子育てを楽しめていないんじゃないか。」みたいな、屈折した気持ちを自分に向けていたように思う。

 でも今冷静にあの頃を振り返ると、「子育てを楽しめない自分」なんていう精神論というか屁理屈以前に、私はものすごく急激な身体的変化と負荷を前にただ圧倒され振り回されていたことに気づく。ここで「(ほかの人も)みんなそうだ」というような他者との比較は何の意味ももたない。結局のところ「私は」その変化と負荷がどうにも耐えかねた、という話なのである。

 まず「つわり」が辛かった。24時間ずっと「気持ちが悪い」、それが3ヶ月以上に及んだ記憶はなかなか薄れなかった。別段他者と比べて「つわり」の程度(症状)が重かったわけではない。「つわりはほとんどなかった」という人も結構いるので、そうした方々と比べれば重いといえるが、特に医療的な介入が必要なレベルでもなく、通常想定される範囲内の症状である。しかし私にとっては「もうあんな気持ち悪いのは二度とごめん」と思うような経験であり、なんなら3ヶ月間ずっと気絶したままでいたかったくらいだ。そして「気持ち悪い、あの感じ」は本当につい最近まで全く薄まらなかった。

 なんで薄まっていかないんだろう?
 それが不思議でならないのである。
 というのも、私はほかの物事に関しては非常に記憶力が悪いからである。

 母にもよくため息まじりに「あなたを(旅行で)どこに連れていってもしょうがないわ。何にも覚えていなんだもの。」と言われるのだが、私と旅行に行って下さった方々すみません、確かに旅行の記憶はまるっと残っていないことが多い。下手したら「そんなところ行ってない!」なんて、「なかったこと」になっていることさえある。

 そんな私が「つわりの時によく行っていたスーパーのにおい」だの、「つわりの時に食べた食べ物の味」だの、「つわりの時に乗ったバスのこと」だのを、くっきりはっきり覚えているのだ。そして「ああっ!あのスーパーのにおいがする!」「もうあの味つけのレストランには行きたくない」と騒いで避けたり、バスに乗ると「しんどかったあの頃」を思い出したりするんだから不思議だ。本人としてはそんなしんどい記憶が残るよりも、旅行に行って楽しかった記憶を保持して楽しさを追体験したいところだが、どうもそうはなっていない。

 そして産後どういうわけか私は何かにつけ酔いやすくなり、頻繁に「気持ち悪い」を経験することになったというのも、記憶が薄まらないことに関わっているような気がする。車酔いはもちろんのこと、外の景色が見える電車も苦手になった。一度子どもと特急電車に乗ってふらふらになり、オットに連絡してホームまで迎えにきてもらったこともあった。ジェットコースターはおろか、ブランコさえ乗れない。全然大丈夫だった高いところも、怖いんだか気持ち悪いんだか分からない感じで苦手になった。極めつけは洗濯。洗濯かごを床に置いて洗濯物を取り出してハンガーにかけていくという上下運動で気分が悪くなるので、かがまないですむように洗濯かごは台の上に置いて作業している。それからバドミントンでも気分が悪くなるのだが、おそらく高く舞い上がったシャトルを見上げたり、地面に落ちたシャトルを拾ったりするのも上下運動だからだろうと思う。このように酔いやすさ自慢はきりがない。以前に「子育ては内も外も大自然なんだから」という記事にも書いたが、産後はホルモン動態の変化で体調が絶不調、おまけに睡眠不足も重なってボロボロだったため、「こんな状態に24時間気持ち悪いつわりが加わるなんて無理!!」という感じだったように思う。

 繰り返しになるが、「みんなそうだ」と言われればそうなのである。
 でも私はそれ(気持ち悪くなること)を引き受けられなかった。

 どうしても。

 つい最近まで自覚できていなかったが、そもそも私は「痛い」だとか身体的な負荷や不快への耐性が低いようである。というより正確には、その影響をもろに被りやすい、とでも言ったらいいだろうか。たとえば新婚時代の情けない笑い話なのだが、私は料理の最中にやけどを負った。あわてて患部を流水で冷やしていたのだが、すんごく痛がっているうちになぜか腹痛がやってきた。なんかお腹が痛い、とかいう生易しいレベルではなく、ぴーっとおなかを下す感じである。あわててトイレにかけこむと激しい下痢。冷やしてない患部はよりズキズキと痛みを増すので冷やしたいが、ここ(トイレ)から(お腹を下しているもんで)離れられない。やけどは痛いし、おなかも痛いし、下痢は止まらないし、もうどうしていいか分からず涙しているところにオット氏が帰宅してビックリ・・・という、コントみたいなことは珍しくない。網膜に穴があいてレーザー治療を受けている間にもおんなじようなことが起こった。

 弱い子ちゃんぶりたいのではない。
 はたから見たら「ちょっとしたやけどで大騒ぎ」に見えるかもしれないけれど(事実そうなんだけど)、私だってやけどと同時に下痢なんてしたくないさ。

 結局私が望まなくたって、きっと私のからだは身体的負荷を限局的に受け止められないとか、刺激への反応が未分化なままですぐによそに波及してしまうとか、そういう特徴を携えているんだろう。ちょっとしたことが「おおごと」になるもんだから、「気持ち悪くなること」があらかじめ高い確率で予想されることを引き受けられない、のだと考えると、これまでの自分の消極的な選択も腑に落ちる。

 みんなそうなんだから。
 それぐらい頑張れ。

 私もそんなふうに思ったり言ったりしていることがあるかもしれない。でも本当に「みんなそう」なのか?その人にとっては「それぐらい」のことじゃないかも?やっぱり立ち止まって考えたいものだ、と頑丈じゃないからだを持つ私は自戒をこめて思う。

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