サンタさんのいる世界はたまらない

 明けましておめでとうございます。
 新年だというのに「サンタさんのいる世界」だなんて季節外れではございますが、年末に書きかけていた記事をそのまま投稿させてもらいます。

 これを書いている今日は、クリスマス。オット氏は仕事、小5のムスメはお友達とのクリスマスパーティーで夕食後まで帰ってこない。うん、子育て終わった感を今日もかみしめております。

 さて、子どもというのは何歳くらいまでサンタさんの存在を信じているのだろうかと思ってきたが、小5のムスメは今年初めて「サンタさんっていないんやろ?お父さんとお母さんなんやろ?」と聞いてきた。「ええっ!!そうなの?なんでそんなこと知ってんの?」とおどけて聞いてみると、「みんなそう言ってる。」とのこと。ふむふむ。この1年で急速にお姉さん化しているムスメをみれば「さもありなん」と思う。どうしようかな~と思いつつ、まだファンタジー要素を残しておいてもいいのではなかろうかと考え、「サンタさん信じてる人のところにしか、プレゼントこないんじゃないのー?」と答えておいた。その後も「サンタさん本当はいない」発言をほかの大人たちから聞く場面も多々あり、その度に「ほらねー」とビミョウな笑顔を浮かべるムスメであった。

 そのムスメ、今年はサンタさんにバッグをご所望。最近夢中の女の子雑誌に出てくるファッションブランドのもので、律儀にもパソコンで商品を検索し、写真をプリントアウトして「欲しいものランキング」なるものをサンタさん宛てに作っていた。万一欲しいもの第一位のものがなかった場合の、第二位、第三位まで指定しているんだから、ぬかりない。「これでサンタさんも間違えないと思う!」と張り切って言っている、その「サンタさん」とは最新女子ファッションに興味のないダサい「お母さん」と読みかえるべきなのか逡巡してしまうところだが、「サンタさんからもらう」というストーリーには乗っかったままであった。

 その後も「サンタさん、第一位のバッグ買えたかなぁ。」「京都には売ってないから、サンタさん梅田まで行かないとだめだと思う。」「サンタさんてネットで買ったりするのかなぁ?」と、ずーっと気にしていた。親の願望が入っているのかもしれないが、なんだかそのムスメの言動には、まだ「サンタさんはいない」ことに対する半信半疑の気持ちが見え隠れするような気がした。なぜって、その言葉を通して「お母さん、梅田まで行くの?ネットで買うの?」と問われているような気が全然しなかったからである。「サンタさんなら、梅田ぐらいすぐ行っちゃうんじゃない?」なんて適当に答えると、「ひゃははは。あの恰好で梅田行ったら目立っちゃうから無理だよ。」「サンタさん変装するから大丈夫だよ。」「ええっ!でもヒゲでばれちゃうよ。剃るの?」なんていう、愉快なファンタジー会話をえんえんとできちゃうのだ。イブの夜なかなか寝ようとしないムスメとの会話だって、「早く寝ないとサンタさん通過しちゃうで。」「大丈夫、また朝の5時くらいに戻ってきてくれる。」「そんな再配達させないでよ。ブラックやわ。過労死しはる。」「跡継ぎいるから大丈夫やって。息子。」「サンタさんかわいそー。どんだけブラックなんー。」「寝る、寝る!!」と、こんな調子である。サンタさんを全く信じていなかったら、こんな会話につきあってくれるんだろうか。「もうええから、お母さん。」「はいはいはい!」てならない?

 いやもちろん、「信じてるふりしないと、プレゼントもらえないからそうしてる」、という読みもあるかとは思う。でもそんなキョーフ政治下でケラケラ笑いながら話膨らますなんて、ややホラーである。もしそうであるならば、直ちにムスメに真実を話して「お母さん間違ってました」と平謝りに謝らないといけない。

 それにしても「サンタさんがいる」と信じられる世界って、どんな世界なんだろう。色んなことがブラックボックスに入っていて、すごいミラクルな論理の飛躍がないとサンタさんは存在できないではないか。この広い世の中に一体どれだけの子どもたちがいるのか。その子どもたちにどうやって配っていくのか。東京から京都まで新幹線で2時間ちょっとかかるのに、どうやって一晩でプレゼントを全ての子どもたちに配るのだ?そういう背景をまるきり「なし」にしてしまうか(ブラックボックス入り)、サンタさんのすんごい力を介在させるか(ミラクルな論理の飛躍)しなければ、サンタさんのいる世界は成り立たないのである。そして大人は、背景をブラックボックス化する力も、ミラクルな論理の飛躍力も残念ながら萎縮してしまっている。きっと「発達」の過程で何かとひきかえにしてしまったんだろう。

 いいとか悪いとかいう話ではない。
 大人になるって、「そういうこと」なのである。

 でも子育てをしていて楽しいのは、―というか強力に惹きつけられるのは―、この「サンタさんのいる世界」を(子どもを通して)垣間見る瞬間、そこへの回路が開けた瞬間なんじゃないかと、私は思っている。もちろんもう大人には手の届かない世界であり、そこへともに住まうことはできない。それでも「確かにそこにある世界で、直接にではなくても通じている」と思うことのできる瞬間に、どういうわけか激しく心揺さぶられる。うまく言えないが無理やり一言で言ってしまえば、「あぁたまらない!」と思う感じである。

 この感じをなんとか手渡したいがための、「サンタさんのいる世界」ではこんなことが起こるよ実例集をさいごに。

その1
通信教材で、重要なポイントのところに「ここに目をつけてみよう!」との記載。ムスメは教材と自分の目をくっつけた。・・・どんなすんごいことが起こると思ったのー?

その2
「正しい慣用句を選べ」という問題の中のひとつ、「油を売っている」。ムスメは「油を売っている魚を食べる」に○をしていた。・・・なんか、ニモの世界ですか?いらっしゃい、いらっしゃいって油を売っている魚でもいるんですか。そしてそんなアニメな魚を食べちゃうんですか!

その3
「ふくさんぶつ」を漢字にせよという問題を何回も間違える。まず「福産物」、いいことありそうね。次に「服産物」、アパレル業界用語か?

 たまりませんね。ミラクルですね。
 すぐに忘れちゃうんだけど、子育て期間最大の贈り物はこういうコトが頻発する日常なんだと思っている。

 そして誤解を恐れずに言えば、私が精神科領域で働いていたのも実のところこの「たまりません」の吸引力が大きかったからである。いつかそれも言葉にできたらいいなと、何年か越しで考えている。

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