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風の音と、心の音~「聞こえないこと」の思索と物語

難聴児医療・教育界の92歳の長老、田中美郷先生が教えてくれたこと⑤

初回のこのシリーズでは、半世紀にわたり、医師でありながら、そのワクを超えて難聴児の療育に携わってこられた田中美郷(よしさと)先生の思いや、そのベースとなった哲学に迫ります。
5回目の記事では、エミちゃんという難聴乳幼児が補聴器をつけ、いかに「ものには名前がある」ことに気付いていったか…、という小さな物語をお伝えしたいと思います。
 

▼ものに名前があると気づくことが「言語獲得」の出発点

大学病院で難聴乳幼児の診断を行いながら、田中先生が両親向け講座・ホームトレーニングでまず目指したのは、補聴器をつけた難聴乳幼児が「この世界には音がある」とまず気づくこと。そして、自ら片言の言葉を発していく過程で、「ものには、それぞれ名前がある」と気づくことでした。
 
田中先生が信州大学病院耳鼻科に籍を置いておられた松本時代、ホームトレーニングを受けた親御さんの中に、Hさんというエミちゃんのお母さんがいました。
 
ホームトレーニングに提出する日記に、子どもについての発見や描写をていねいに書き綴っていたお母さんです。特にその視点の細やかさや、子どもと向き合う落ち着いた愛情深い姿勢が目を引きました。
田中先生はエミちゃんのお母さんの日記に注目し、難聴児の言語の獲得についての観察と研究を進めていかれたのです。
 
エミちゃんは2歳4か月のときに田中先生の外来で、90dB(デシベル)以上の高度難聴と診断されました。すぐに補聴器を付け、両親講座であるホームトレーニングが始まりました。
 
補聴器をつけても最初は目立った変化はなかったのです。でも、1カ月も経たないうちに、音に興味を示し始めました。
「(母親が)絵本を見ながらママとかブーブー、チャーチャーといって話しかけると母の口元をじっとみる」
「いろいろ声を出してわけのわからぬことをいいながら遊ぶようになった」
「(エミちゃんが)オルガンを勝手に弾いているときにこっそり電源を切ると怒って自分で電源を入れ、音が出ると首を振りながらアーワワ、アーアーアーといっていた」(「」内はエミちゃんのお母さんの日記から引用しています。)
 
こうして補聴器を通して音を聴き取ることができるようになると、4か月後には「名前を呼ぶとヤイヤ、ヤイヤと発声し」、さらに「名を呼ぶと1度で振り向き、またいろいろな音にも敏感になり、泣き人形、ラッパ、笛、太鼓など音の出るものでよく遊ぶ」ようになりました。
「姉と汽車ごっこをしていて姉がボーボーというとまねていい、段ボールの箱を自分で持ち出してその上に腰かけて汽車に乗ったつもりでポーポーという」
それ以降は「あそんでいて自動車に乗ったときは自らポーポーという」ようになったということです。
 
また「ママはよくいうようになったものの、遊びながらもママー、ママーといい、ママは母だけでなく祖母や祖父、姉にもいって歩いていた」のが、
「私がこたつにあたっていると、こたつの上にのぼってママー、ママーと上手に呼んだ。そこで私がハーイと返事をする。私が手を出して抱いてやるとキャーキャーいって喜んだ。そのとき<ママ>は<母>だということが子どもにはっきりわかった感じがした」
 
そして「絵を書くとき私に見て欲しいとばかりにマーマーと呼んで書き始め、書き終えるとバーバーといって祖母に見せにゆく」ということがありました。この段階あたりでママ(母)、バーバー(祖母)がはっきり区別されて使われるようになったということです。

▼エミちゃんがものに名前があることを発見する

エミちゃんは3歳3か月から2か月ほどの間に、どうやらものに名前があることを確実に発見したようです。
 
お母さんの日記は、こう続きます。
「ものごとを熱心に知ろうとする表情があらわれて、少しでも変わったものがあると指さしてきいたり、アーとびっくりして教えにくる」
「ことばにならなくても子ども自身は遊びをしていても、一つの物に名のあるということを覚えたように思う。一つの物を持ってもことばを出して私にみせて話してくれる」
「物に名前のあることを深く知ってきた様子がみられ、教えるとはっきりはいえないが自発的に声を出してまねる」
 
田中先生は論文の中で、こう述べておられます。

「このようにものごとを自ら積極的に知ろうとする、ないしは尋ねようとする態度の出現は、子どもがすべてのものには名前があることを発見したことを意味し、これによって言語理解の発達や語彙の発達は一層拍車をかけられることになる。」

実際、エミちゃんの「言語理解の発達」のデータを見ると、この時期を境に、語彙が急激に増えていったことがわかります。
 
言葉の発達に関していうと、子どもが「すべての物が名前を持っている」ことを発見するとき、その子はまさに人生におけるもっとも大きな発見をするのです。
 
聴こえる子どもには、この発見は2歳頃にあらわれるといわれていますが、難聴のエミちゃんの場合は、3歳3か月の頃。
信州大学病院耳鼻科でホームトレーニングを始めて、ほぼ11カ月目の出来事でした。
 
以上は 田中先生が1973年に発表された『Home Training による90dB以上の難聴児の言語発達~その1.H.エミちゃんの場合』という論文から大部分を引用したもの。その中で、田中先生はこのようにと書いておられます。

「言語教育を始める年齢やその際に用いられる感覚の種類が異なっても、心理学的にはVygotskyの説に従って同じ言語発達の道程をたどるということは甚だ興味深く、かつ重要であって、このことは難聴児の言語指導に当たっては、子供をしていかにして言語を発見させるかに指導の中心が置かれなければならないことを意味しよう」

さて、田中先生の足跡をお伝えするシリーズの5回目は、難聴乳幼児のエミちゃんが「ものには名前がある」と気づいていくようすをご紹介しました。
次回の6回目は、言語を獲得せずに成人した50代のろう者の女性が、田中先生の言語指導により「ものには名前がある」と気づく、奇跡とも呼べるお話についてお伝えしたいと思います。


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