外国人

色んな事をはっきりさせないと、物事を進めたくない性格はどこから来ているんだろう・・・と、最近ずっと考えていた。

私には寛容さが足りないのか。

心が狭いのかな。

ここ最近、毎日落ち込んでいた(明日はもう少し寛容になろう!と思い、またやってしまう→反省の無限ループ)。

この話を弟にしたところ、「たぶん、、お姉ちゃんは外国人なんだよ」

と言われ、すごくしっくり来た。

帰国子女っぽくないと言われる私だけど、物心が着く時期に所謂インターナショナルな環境にいたことで、「人と人は違う考え方を持っている」という概念をつよく、持っているのだと思う。

お互いの認識をシンプルな言葉で、分かりやすく確認し合う事は、自然な事だと思っているし、そうしないと気持ち悪いのだ。

そういえば以前おじさんから、私と話しているとアメリカ人と会議しているみたいと言われた事がある。

仕事において、私はこれはとても大切な事だと思う。日本人同士でも、意外と分かり合っていない事が多い。阿吽の呼吸というのは、だいたいの場合幻想だ。

ただ、プライベートにおいては、そういった白黒はっきりさせる!明確に!というのを少し緩めようと思う。

そもそも人って曖昧なものだし、変化するもの。

どんな人でも、多面性があり、自分には見えない部分がある。

そんな部分を受け止められる自分になりたい。その人の向こう側を理解できるような。そんな深い人になりたい。


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