思い込みほど罪なものはない。思いやりを大事にね。
「無知なものほど罪なものはない」とよくいうでしょう。
自分が無知であるがゆえに他人を傷つけることがあるかもしれない。
でも、最近の世の中を見ていると「思い込みほど罪なものはない」と思う。
「第三者」「他人」の視点での「思い込み」が、いつの間にか「事実」に置き換えられてるんだよね。
あのね、それは事実じゃないよ?
あなたの「思い込み」ちゃんと本人に確認した?していないよね?
主観は観察力でも推察力でもないよ。
「あのね、それ、あなたの勝手な思い込みだからね」
それをいったん心の中で受けとめてから発言してほしい。
誰かの思い込みが人を傷つけることがあることをよく理解していてほしい。
そしてあえて何も言わない人がいることをよく理解してほしい。
勘違いしないでね。それはその人が許しているのではなくて、その人がやさしいだけだということを、よく理解してね。
そういうやさしい人に許されていることに甘んじて、自分が好き勝手にしているだけだということを、よく理解してね。
無責任な発言で人を傷つけることを、よく理解しておいてね。
自分勝手な発言を繰り返ししていると、いつか自分が「こうじゃないよ」と主張したいときに、誰かの「思い込み」によって、勝手に事実が歪曲されることがあるかもしれない。
個人を主張したければ、相手を尊重しようよ。
自分を理解されたければ、相手の気持ちを汲み取りましょう。
「思い込み」じゃなく「思いやり」それが必要で、大事。
心にクッションを置きましょう。
・・・
よく小さな子がケンカしたーって帰ってきたときに、こんな話をすることがあります。「喧嘩」って大抵「思い込み→すれ違い」で発生するんですよね。
相手の心が見えなくて、相手の態度を勘違いして、自分の心に触れたものをすべて「事実」として思いこんじゃう。
もうちょっとワンクッション置くと事実が見えてくる。
あ、このとき本当はあの子はこうしたかったんでしょ
それでボクはこうしたかったんだ
でも巧く伝えられなくて、こうなっちゃったんだけど
事実はこうで、本音はこうなんだよ
あのね、それを○○くん、○○ちゃんに言った?
それって、ちゃんと話をしないとわからないよ。
今は便利な世の中で、メール、ライン、言葉の重みが軽くなっている。
だからこそ、ちゃんと顔を見て、話をして、心を伝えないと。
その温度は正確に伝わらないんだよ。
喧嘩をしてもいい。
だけど、ちゃんと何が原因だったのか、どう伝えたかったのか
思い込みのままじゃなく、想いを伝えてほしい。
自分の気持ちと向き合って、相手の気持ちを汲み取ってほしい。
それが大事。