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どれだけ誰かの真似をしても。

基本的には自分自身が発している波長に合う人と引き合うだけだと思う。


こんにちは、巫咲(みさき)です。

Twitterである投稿をお見かけして、
自分自身も経験があって
思っていたことについて書きたくなったので
書いておこうと思います。


私自身にも経験がある、というのは

SNSにUPした
写真や文章を
「真似(or自分の発信として
まるごと転載)される」ということ。


初めてそれに気付いた時は
何ともいえない気持ちになったことを
覚えていますが

その時に

「真似」

ということについて深く考えてみました。


「真似」とは?

「真似」したくなる心理とは?

「真似」されて嫌な気持ちになるのはなぜ?


などなど。内観も含めて、
そんな深掘りをした結果


文章や写真というのは
その人の価値観や在り方が
反映されて「形」になったものなので

その価値観や在り方なしに
外見(そとみ)の部分だけを
まるごと自分のものにしようとしても
全く同じ「形」には
なり得ないなぁと。

なので、
文章や写真を全く同じ「形」で
発信・投稿していたとしても

そこに集まる人々や
目を留める人々は
全く別な人たちになると
私は考えています。


最初それを発見した時は、
嫌な気持ちにもなったし

物申したくなったこともあるし
驚きと動揺も確かにあったけど

そこに注力してエネルギーを割くよりは

さらなる自分の創造性を高めたりとか
自分の価値観や在り方に
改めて立ち返る機会を
もらったと捉える方が

自分にとって健康的で生産的だなと
思うに至りました。


SNSはものすごい広い世界だし、
そこを無料で使わせていただいてる以上
抑止や対処をしようと思うと
とんでもないエネルギーを消費する。

もちろん時と場合によっては
この考えも変わるけど
SNS投稿については、
こんな感じで考えています。


基本的に前向きに考えたくなるのは、
やはり射手座みが強めなんだろうな…


読んでくださりありがとうございます💐

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