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消えた2つの記事

おお、、だいぶ書いてなかったんだなぁ私

1個前の記事、我ながらすごくいい記事だなぁと思った。
気持ちがこもってる。嘘がない。


今日さっきあったことなんだけど、インスタの過去の自分の投稿を間違って2個消しちゃったの。それについてぐるぐると考えていて。なんか久しぶりに書きたいなぁと思ったから書く。

私さ数えたら今までインスタで1500いかないくらいの記事を投稿してたのね。たまに見返すんだけど2012年からやってたみたい。高校生の時もデコログやってたしそのときどきの時代のSNSをずっと楽しんでる。
自分なりにSNSの運用ルールみたいなのがあって、その中で私は「1回書いた記事は消さない」ってのがあって。


よく自分の記事を全消しする人がいるよね。
でも私は絶対消さないの。なぜなら自分の生きて来た証だと思っているから。でも証と言ってもほんの一部なんだけどね。インスタとかはとにかくフォロワーが殆ど知り合いだから、自分の内面みたいなところとか愚痴、ポエティックなことも見られると思うと恥ずかしくて書けないし、どちらかというと自慢というか「見せたい私」的なコンテンツになってるなと思う。でも本当の私を見てもらいたいという気持ちもすごくある。だからそれはnoteへ書くとしてる。まぁ最近わかってほしい欲がすごすぎてインスタに漏れでてるな、、とも思うけど。

私が消した記事は直近の2つ。新しい夏用のブランケットを買ったことと、寄せ植えの鉢を増やしたこと。
でも2つともいつもより少し思っていることを書いたから残しておきたかったのに、、

私が書いた記事は、後から見て顔を覆いたくなるような若気の至り全開な記事も多いけれど、ちゃんと生きてるなって思う。そのことの貴重さを見返すたびすごく感じるから、やっぱりどんな駄文でも消さずに残しておきたいなぁと思う。だから間違えて消してしまったの、本当に悲しい。もうあの2つの記事は戻ってこないのだ。あの記事の写真は残っている。だけどその時に書いた言葉や空気はもう戻ってこないのだ、、

最近セブンルールで鳥飼茜さんが取り上げられていた。彼女のエッセイ本を持っていたから答え合わせをするような気持ちで食い入るようにテレビを見た。彼女のエッセイはちょっとうまく言葉では表せられないけれど、とにかく自分をさらけ出している。羨ましいくらい。
彼女のエッセイは、全体的に考えすぎというかネガティブというか生きてて楽しいの?って思っちゃうくらいの内容ばっかりで、しかもそれが本になって不特定多数の人に読まれて更には彼女の不安の殆どの原因となっている夫(浅野いにおさん)にも読まれていて、え?もう、なんなの?そういうプレイなの?って思うくらい。

でもそれでも本当に素直に自分を吐き出している。本当に羨ましい。私もこのnoteを本当は知り合いや家族にこっそり全部見ていてほしい。知らない誰かじゃなくて、知っている人たちに。でもできない。怖いから。自分の作り上げた(そこまでつくってないけど)イメージが壊れるのが怖い。だからあくまで知らない人がいるここに書く。

セブンルールの中の彼女は、笑顔だった。
毎日笑顔の練習をしているらしい。インタビューに答えながら言葉の端々にあのエッセイを彷彿とさせるものもあったが、全体的な私の感想は薄い。だった。
でも考えれば、初対面の人に全てをさらけ出せるわけもないし、皆に自分の全てをみせる必要はないと思った。
なんで私はみんなに私のことをわかってほしいって思うんだろう。それなのに何故本心を隠すんだろう。
鳥飼茜さんが漫画であらわすように、私も小説か何かに表したらいいのかな、、。でも本当に鳥飼茜さんは勇気がある人だな、と思った。

数年前、前の職場で何故人はインスタをするのか?と問われ、うまく返せなかった。そのときのことがずっと頭の中にのこっている。でも、今はなんとなくわかる。
今生きてる貴重さを自分に言い聞かせ染み込ませる為にわたしはSNSをやってるんだと思う。

こんな出口のない悶々としたつぶやきでさえ、懐かしく愛おしく思える日がくるのだろうから、私は一生駄文を消さずに積み重ねていきたい。とにかく今はそう思う。



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