私が変わろうって思った話。
私は小学校中学校と9年間不登校だった。
あまりにも理不尽すぎる先生の沸点や、それを煽るかのように騒ぐ児童
なんというか、自分1人ではどうにもできないのに連帯責任で怒鳴られるのが
本当に心の底から怖かった。
私の通っていた中学校で、ある日 生徒が学校にガムを持ち込んだ。
当時の私は支援学級に在籍し、そんな事も知らず平穏に毎日を過ごしていたのに。
支援担任は私に「緊急集会を開くから参加するように」と伝えた。
私はもちろん抵抗した。
そんな事案に関与していないし、私がそういう理不尽な連帯責任に
恐怖を感じていることは母親を通じて伝達されていたはずなのに。
なんとか勇気を振り絞って「参加したくないです」と言ったら
「クラスメイトっていうのは楽しい時も苦しい時も
一緒にその経験を分かち合うもんだ。」
「楽しい時だけ参加するのは自分勝手にも程があるだろう」と
まくしたてられ、私は大混乱。
まずそもそも私は時々 通常学級の授業(それもあまり理不尽じゃない先生)に
行くだけで精一杯。
中学校三年間は体育祭も文化祭も経験していない。
授業中は、怒鳴らないタイプの温厚な先生とはいえ
荒れまくる教室で いつ先生の火山が噴火するのか怖くて仕方なかった。
なのに。100パーセント怒鳴られることが確定した緊急集会に行けと。
結局その日は無理矢理行って、帰宅後親にこの事を相談し、翌日は学校を休んだ。
支援担任は母親からの電話を経由して謝ってきたが、
再登校翌日から嫌がらせをしてくるようになった。
その話もいずれしようかな。
その頃の私は人間嫌いMAXの時で、
心を開いていない人に対しては
「柔軟剤の匂いが臭い」「声がうるさい」などいちゃもんをつけては
非常に攻撃性の高いめんどくさいやつだった。
今思い返せば全員に誠心誠意謝罪したいくらいこの時は本当にひどかった。
それが母校である通信制の高校に入学して一気に変化した。
まず入学から数日後、階段の踊り場で当時の体育教師とすれ違った。
私に対して目を見て「おはよう」と挨拶してくれた事に驚いて
思わず話しかけた
「あの」
「ん?」
「この学校って怒鳴ってくる先生はいますか?」
「…いない」
「じゃあ、黒板を殴ったり、机を蹴ってくる先生は?」
「いないよ、そんな先生がいたの?」
「はい、中学校に」
「もうここにはいない。安心して大丈夫。」
今でも鮮明に覚えている、数年ぶりに私が心を開いた瞬間だった。
実はこの出来事には続きがある。
卒業後、ふとこのことを当時の社会担当の教師に話してみたところ
なんとその事実が他の教師にも知らされていたのだ。
当時の私は、入学者の中でも特に配慮が必要な生徒として
教師全員に通達されていたそうで、
この話も教師全員で共有・把握されていた。
恥ずかし。
そんなことも全く知らず。
やたらと甘えさせてくれる優しい先生たちに心を開き
当時何にも知らないまま部室のドアを叩いて
生徒会に入りたいとズカズカきた後輩を
優しく受け入れてくれた先輩方に可愛がってもらい甘えまくった一年を過ごした。
高二からの話はまた今度しよう。
とりあえず、今日はこの辺で寝る。
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