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気づくために時間はいらない。ただ発見するだけ。

このおっちゃん、好きやわぁ。笑
「おっちゃん」言うたら、怒られるね、わはは。

「わたし達が何者なのか気づく」ために、時間は必要ない。

そこに「行き着く」のではなくて
すでに「ある」ものに気づくのだから。

でもね、ブッダがそうであったように、悟ろう、ある状態に到達しようと行動すること、doingすることも、

「あっ、これ(doingすること)必要なかったやん」って気づくためにも

必要やねん。

みたいなことを言うてはる。

悟るために何かをするってことも、悪くない。達成する、得る、獲得する、などなど。でも、それは去っていく。みたいなことも言ってた。

動画の最後の方に、「在ること」と「行動すること」が仲直りするのが必要やねえって言ってた。

☆☆☆

この動画を数回くりかえし見て、ふっと湧いたイメージは
たーくさんの落ち葉があって、地面が見えない。
この地面=本質って感じかな。
この落ち葉を動かして、地面があることに気づく。
この「落ち葉を動かす」って行動が、瞑想だったり、悟るための行動だったり、するのかな。

地面はすでに、そこにある。完璧な形で、すでにある。それに気づくのに「将来」は要らない。いま、ここで発見できる。

「将来、悟れますように」って、感じることは、今を生きていない。
その将来は「思考フォーム」でしかない。

とりとめもなく、感じたことを書いてみました。
あっ!いつも、そうやね。笑

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