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大学生の二男が「今月、就職活動で上京する事が多く出費が嵩んだせいで、生活費が足りないから助けて欲しい。」とラインでメッセージを送ってきました。この手のメッセージは初めてではなく、これまで何度も繰り返されてきていたので、今更「可愛い息子が食べるものにも困っているかもしれない。」等と心配したりはしません。


最早慣れたもので「本当の事を言いなさい。パチンコでスッたんじゃろ?あんたは嘘を言うからいけん。」と二男を問い詰めると


最初は「そんな事はないんよ。本当なんじゃけ。今月はバイトもシフト一杯入って給料も沢山あったんじゃけど、交通費とかかかり過ぎた。」等と言っていた二男も、このままではいつまで経っても望みは叶えられないと悟り、やっと「ごめんなさい。」と白状しました。


はい、これも大体いつもの事です。


何故いつも問い詰めないと本当の事が言えないのかな。私が言わせないのかな。


まだ若い頃、もっともっと融通が利かなくて、潔癖で、例えどんな理由があったとしても、嘘は絶対に許されるものではないと思っていました。思春期の、人間性が形成される時期に一緒に過ごした人がそういう人だったからです。私という人間が今こういう人間性である土台は、その人が作ってくれたと言っても過言ではないのです。


その人は、いつもとても正直な人でした。そして、それを潔しとする人でした。その人も若く、それを貫いてこそ自分なのだと強く信じていました。そうでなければ、自分は自分ではなくなってしまうとさえ、思っていました。その人も潔癖だったのだと思います。


そして、その傍にいた私は、どんなに辛くても現実を受け入れる事を潔しと思っていました。どんなに辛い事実でも、伝えてくれる事に感謝すべきだと思っていました。傷つきながら。


さて、息子よ。君は母の前では良い子でありたいようですね。例え嘘をつこうとも。でもね、脇が甘いよ。バレバレなんだよ。嘘をつくならね、もっと上手につこうよ。まだまだだね。母さんも、あれからしっかり年をとりました。さすがに、いまだに何が何でも嘘はダメだなんて思ってないからさ。