言葉の浮き輪

こいつはチラ裏でござい。

ちょこちょこ言っているかもしれないけれど、私はTwitterのアカウントを複数駆使しております。
メインで使っていてリアルの友人やら親なんかとつながっているものとか、趣味の情報を集めるためのものとか、noteに紐づけてつかっているものとか。

noteと、noteに繋げてつかっているTwitterアカウントは、主に自分が何かを書くために用意したものなんですが、フォローしているのは、わたしが穏やかに眺められる文章を流してくれる人たちです。
たまにぐらっとしますが、Twitterのメインアカウントの殺伐さと比べたらそよ風です。殺伐とした世界に、私もたまに石槍持って参戦しにいってしまうので、そういう世界を批判も否定もしません。

noteはこのアカウントしかないので、心のざわつくようなものはほとんど視界に入らないのですが、最近ちょっと聞いたことがあって、わたしのnoteアカウントのTLには表示されないような文章をたくさん見ました。

本当に言葉は色んなものになるなと思います。
先の「石槍」も言葉です。友人に「果物ナイフ」で近距離からぐっさりいくこともあります。「火」で温めようとしたらうっかり消し炭にしてしまうこともありました。消し炭は、話しているとよくやるんですよねえ。
言葉はピンとしていたり、ギサギザしていたり、きらきらしていたり、ギラギラしていたり、ふわふわしていたり、ふかふかだったり、意図しない形で生まれてきてしまったりするのだなあと思います。

わたしは選べるなら「浮き輪」がいいなあ。
となんとなく思いました。

水のうえにぷかーっと浮いていて、波が立てば合わせて揺れるし、静かになれば退屈そうに浮くだけ。
益にも害にもならなくて、何にも気にもされないけど、何かがおぼれている時に一時しのぎに使われてみたりして……。

とか言いながら、どろどろした話を書いてみたりするのです。
なんだか、「理想の彼氏と実際の彼氏が全然違うんだけど」状態です。
まあ、浮き輪は理想の彼氏として小脇に抱えておいて、実際にできることを少しずつ見つめていくしかないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?