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性自認とは何ぞや(2つの性自認)

生得的性別と違う性自認は主観だが他人に影響を及ぼさない「内心の自由」だ、それに承認欲求が絡むと他人を巻き込むことになる。
それはもう性自認の域を超え、性自認は主観から逸脱し、精神疾患の範疇に入る。(主観であった性自認を、客観に持っていきたい欲求を以て承認欲求とここでは称している。)
そして、自分を性自認通りに客観視されることを望むようになるわけだ。
それはもはや性自認であり性自認ではない。
なんと呼んで良いのか分からないのでここでは「客観的性自認」と呼ぶ。
性自認が社会に組み込まれるとは、その「客観的性自認」が社会に組み込まれることだ。
ChatGPTの答えだが、
「欲求は生物としての本能や必要性に基づくものもあり、客観的な要素もあると言えます。」
要するに主観と一概に言えないということ。
さらには自認する性別を客体化したい欲求なので、生物としての必要性に基づくものであるから、客観的だと言える。

主観である範囲では全くに自由な性自認だが、「社会に組み込まれる」事で主観ではなくなり、客体化される。
客体化されても何故か「性自認」と呼ばれるわけだが、2つには大きな隔たりがあり、この違いが明確化されていないことで大きな問題が起こっているのではないか?
共に同じく「性自認」という単語を使っていることが悪魔的だと言える。

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