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嫌われみお子の一生〜小さなころから人との交流が下手だった私が幸せを手にするまでの物語〜長編自分史


初めまして、みおこーちです。

わたしは1980年代の6月5日に、東京の下町荒川区で生まれました。
O型、双子座、水星人プラスの情熱的な黒ひょうです^^

 
両親は元不動産マンで、父は母がわたしを妊娠時に、フリーの宝石商として自由気ままな生き方をしていました。
破天荒な父は大の車好きでもあり、毎夜近所の交差点でドリフト三昧…
わたしもバッチリ車好きの血を引いています。
 
両家とも初孫ということで、それはそれは可愛がってもらいました。
下町のぼろアパートに、破天荒な父親と士業に囲まれた真面目な母の元生まれたわたしは、小さい時から本当に男勝りでしたね!

幼稚園で初めて泣いた日は、いまだに鮮明に思い出せます。
原因は忘れてしまいましたが…なんか他のお友達と違うことをしたんですよね。
「みおちゃん変なのー!!おかしいよー!!」
と言われ、ジャングルジムの端で泣きました。
 
それから小学校に上がり、仲良くしていたお友達2人にまたしても言われちゃうんです。
「みおちゃんおかしいよー」って。
 
今度は実力行使付き。
「この子みんなと違っておかしいんだよー。いくら言っても絶対泣かないから何してもいいよ」って。
上級生の男の子にサッカーボールをぶつけるよう指示されたり、縄跳びで首絞められたり、椅子をぶつけられたり…

しかし負けず嫌いなわたしは絶対泣かない!
そうすると何が起こるかって…嫌がらせも終わらないんですよね。笑
毎日が苦痛でした。
 
結局母親や先生に相談し、しばらく不登校させてもらってほとぼりも冷めるのですが
やっぱりこの2つの出来事は強烈に残っていて。
 
それからずーっと、「人と違うことはいけないこと」という思い込みで生きてきました。
 
だからと言って人に合わせることも出来なかったわたしは、自己アピールの苦手なコミュ障と呼ばれる生き方を選んだんですね。
 
どうせわたしのことなんて分かってもらえない。
拒絶されて傷付くくらいなら、人と深く付き合うのは止めよう、本当のことは言わないでおこうって。

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飛び蹴りされて顎が外れる


そんなこんなで、鍵っ子だった小学生時代はなんとなく引っ込み思案で、それでいて内弁慶で。
部屋にこもって漫画を描いたり図書館に通ったり…1日の大半の時間を二次元で過ごす女の子が出来上がりました。
※特に妖精と日本の古地図がお気に入りでした♡
 
 
先日娘が小学校に上がりまして、学校公開を見に行ったんですけどね。
一年生のうちから5時間も椅子に座って、給食の時間はおしゃべり禁止。
徒競走は手を繋いでゴールして、劇の役はそれぞれにつき何人もいる(例えば主役のシンデレラが5人とか)。
 
こんな教育制度、本当に必要なのかなー?って思うんですよ。
 
産業革命期に工員となるための教育機関として作られた今の学校教育。
特に義務教育と呼ばれる小中学校制度は、そろそろ見直してもいいんじゃないかと思います。

ひたすら協調性を学ぶために個性を打ち消し、先生の指示にどこまで忠実に従えるか、周りに合わせられるか、理不尽を飲み込めるか、平均的な人間になれるか、集団生活・集団社会からはみ出さないでいられるか…


個性を捨てられず、協調性が身に付かなかったわたしなんかは、今の教育制度に照らし合わせれば完全なる失敗作です。
 
でも二次元にこもりがちなわたしも、根暗だったかというと意外とそうでもなく。
地元は下町のため、在日朝鮮人の子達もすごく多かったんですね。


わたしはその在日のとある男の子と、毎日のように喧嘩していました。

ある時なんか雑巾掛けしていたら後ろから飛び蹴りされて顎が外れたり。笑
激しい口論の末、ビンタしたり。
でも何もないときは普通に遊ぶし、家に上がっておやつを貰ったりなんてことも何度もありました。
 
無理して人に合わせることと、お互いの気持ちや思いを理解しようとすることは全く違います。
彼はすごく感情的にぶつかってくれたから、それがわたしには楽だったんです。
 
やっぱりオープンマインドな人にはこちらもオープンマインドになりますよね^^
そんな、なんとなく気付き始めた小学5年生。
 

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歯ぎしりが聞こえた日

中学は電車通学だったため、物理的にも世界が広がりました。
 
髪を染め、ピアスを開け、日焼けサロンに通う毎日。
他校の年上の先輩たちとも付き合うようになり、毎日が刺激的で一気に大人になった気がしました^^
 
優等生の親友がいたんですけど、わたしが悪いことをするたびに泣いて止めてくれるんです。
まるでダメ男と彼女みたいでしたね。笑
 
近所の犬が亡くなったときはひたすら泣きじゃくる電話に付き合い、彼女が3年間片思いをしていた彼に、いつ思いを打ち明けるか!?
そんな恋バナをしたり…
 
でもだんだんそんな友達が鬱陶しくなって、せっかくの涙の忠告を無視してただひたすら快楽に逃げたわたし。
言わんこっちゃない、第一志望の高校は見事落ちました。
 

 
なぜか絶対受かると思っていた第一志望に落ちて、頭の悪い学校に入ったわたしが何をしたかというと…
 
自分以外のことをとことん見下したんです。
先生も友達も、世の中全て。
 
自分だって同じところにいるのに、おかしいですよねー。
自分の本当の気持ちや本質を見ないふりして、自分一人で生きてきたと思ってるイキがった残念な子どもでした。
 
そして高校2年の時に、無期停学。
このときの担任が良い先生で、罵詈雑言を浴びせるだけのほかの教師とは違って、きちんとわたしに向き合ってくれたんです。
 
今までずっと本音を話してこなかったわたしには衝撃でした!
17歳の、停学になるような世の中舐めきった小娘に、こんなにも真正面に向き合ってくれるなんて…!!
あのとき貰った手紙は、今でも大事にとってあります。
 
「文化祭の準備は頑張っていたようだな」から始まるあったかい言葉。
見守ってくれていたんだ!という安心感。
 
そして母もまた、仕事が忙しい中バカな娘に付き合ってくれて、本当に親のありがたみを感じました。
目の前で、娘が教師に「あんたバカでしょ」と罵られる屈辱。
わたしに負けず劣らず、最高に負けず嫌いな母からは歯ぎしりの音が聞こえてきましたけど。笑

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わたしの原動力


人にはそれぞれコアモチベーション=原動力ってありますよね。
わたしの半生、とにかくコアモチベーションは「見返してやる!!」っていうものでした。
 
・とにかく高校の時の教師を見返してやりたい!
・「独立したってうまくいくわけないじゃん」って笑ってた同僚を見返してやりたい!
・独立してから「あなたのとこのなんか怖くて買えない」って言ってた先輩を見返してやりたい!
・仕事が傾いたときに「だから言ったじゃん」と喜んでた元職場の先輩を見返してやりたい!
などなどなどなど…もう見返してやりたいリストがぱんぱんなんですよ。笑
 
でも実際に、自分でビジネスをするようになってから「見返してやりたい!」って気持ちだけがわたしの原動力ではなくなりました。
今では一緒に感謝されて豊かになる仲間をたくさん作る!という使命があります。
これもとても大きなモチベーションです。

だって好きな人を喜ばせて豊かになれるんですよ?
そんなの最高ですよね!
 
でもそれはやっぱり自分が豊かにならなければ生まれてこない気持ちで。
自分が豊かになって、それなりに好きなことして稼げるようになったからこそ言えることなんですよね。
明日食べるものがないのに、明日着る服がないのに、どうして人を喜ばせる余裕がありましょうか?
自分が豊かになることが、まずは最初のステップなんだなと思います。
 
でも高校生のときなんて、まさに「見返してやりたい!」この一心で学校に通いました。
ムカつく教師なんかぶん殴って学校辞めようかとも思いました。
 
でもここで辞めたら女がすたる…
「絶対いい学校入って人のことバカ呼ばわりした教師を見返してやるんだ!!」
という一心で学校に通い、大学受験に備えたんです。
 

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鼻を明かして手にしたもの


「ここで辞めたら女がすたる!」
という一心で学校に通い、大学受験に備えたわたし。
塾では法政大学の学生講師と仲良くなって、よく市ヶ谷キャンパスに連れて行ってもらいました^^
 
キャンパスでイメトレをし、数々の誘惑をかわし、時には飲まれ、それでもそこそこ勉強もし、本気で打ち込んだ大学受験でしたが…
残念ながら第一志望である法政大学文学部史学科は落ちました!
 
でも受験勉強は大好きな日本史しかやらなかったんで、すっごく楽しかったんですよね~♡
 
当時、日本史(特に幕末~世界大戦!!)は本当にマニアと化してました。
暇さえあれば日本史の教科書、資料集、写真集、参考書を読み、図書館に通い試験には出ないところまで調べ、近郊なら現地に出向き、虎の巻をせっせと作る。
史実も創作も、とにかく手当たり次第 歴史に触れていましたね。

やっぱり好きなことを突き詰めてやるのがイチバン効率的だし健全なんですよ。
好きなことがわからな~い!!!って人は、とにかくやり切ること。これに尽きます。
 
漫画が好きなら一回満足するまで描けばいいし、ピアノが好きなら弾きまくればいい。
お金が好きならとにかく一度死ぬ気で稼ぐことをしてみればいいし、人が好きならとことん人に会えばいい。
 
嫌々やってることなんて長続きしないんです。
好きでやってる人には絶対敵わないんですから。
 
今わたしは色んなことを仕事にしています。
そのどれもが好きで好きでたまらないものなんですよね。
 
何時間でもやってられるし、寝ても覚めても考えてる。
どれも本気だし、嬉々としながら人生賭けてやっている事ばかりです。
 
わたしにとって、その初めてのきっかけが「受験勉強」、特に日本史だったんですよね。

 
さてさて。わたしが受験を頑張った原動力。
それは確か…「見返してやりたい!!!」って気持ちだったはず。
 
わたしが入った大学は、世の中では「Fランク」と呼ばれる人気も偏差値も低いところでした。
でも、進学校ではない我が校からすると実はかなりの快挙!だったんですね。
 
しかしながら合格通知を見たわたしは「やったね自分!!見事ムカつく教師どもの鼻を明かせてやったぜ!!!」
とはならなかったんです。
 
好きを突き詰めひたすら自分と向き合ってたら、まさかの…!!
人のことなんかどうでもよくなってた♡って話でした^^
 

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ちょっとした違和感


花のキャンパスライフ!
…と思いきや、入学式早々やらかしました^^;
 
入学式の後、オリエンテーションで後ろに並んでいたクラスメイト。
聞き慣れた地名が耳に入ったので「あーわたしその近く出身だよー!!」と、会話に入ったんです。
そしたら、引きつった顔でま・さ・か・の…スルー!!!!
 
あれ?わたしなんかおかしなこと言ったかな?って。ちょっとした違和感。
 
学校生活が始まってから、必修科目についてはクラス単位で授業があったんですけどね。
クラスメイトみんないつの間にか仲良くなってるんですよ!
え!いつの間に!?
 
わたしはというと…
 
ポツーン。

話しかけられないどころか、話しかけてもみんな素っ気ない!
三人組になってくださーいって言われても1人だし、お昼も1人だし、移動も1人だし…
 
「なんなのまじで!意味わかんねーし!!」
とかいって1人不貞腐れてたところに声を掛けてくれた、金髪の切れ長な目をした女の子とアイロンパーマな男の子♡
結局似た者同士引き寄せあう、ということで金髪に獅子丸みたいな頭をしたわたしは2人と仲良くさせてもらい、一安心することができました^^
 
…が!!!そんなウキウキキャンパスライフもつかの間に、半年もしないで2人とも辞めちゃったんですよね。
 
そのあとなんだかんだ仲良くなった子からは、なぜか朝「おはよー!」って言ったらいきなりのシカト!!!
あれ?わたしとあなた、仲良かったよね??昨日一緒にお揃いの服買いに行ったよね???
 
って、頭の中はクエスチョンマーク一色。もはや展開が早すぎてついていけません。泣
 
何人かグループでいたのに、全員にシカトされたんでメールしたんですよ。
「なに子供みたいなことしてんの?」って^^;
そしたら「そう思うなら一人でいればいーじゃん」って返ってきましたよね。笑
(辛辣ゥーーーー!!!)

サークルもそう。
中高と部活動をしてこなかったわたしですが、大学に入りテニスサークルに所属しました。
 
…が!!!ここでも1人ぼっち。
入学した日に抱いた違和感が、どんどん膨れ上がっていきました。
 
「あれ?もしかしてわたし人とうまく付き合えないの?」って。

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ついにクレーム発生


少々ここまで赤裸々に書く必要があるのか疑問も生じてきましたが…^^;
誰かの勇気になると信じ、まだまだ続きます!
 
 
完全にぼっち大学生となったわたしは、ほとんど学校に行くこともなくなりアルバイトに明け暮れるようになりました。
 
生まれて初めてのアルバイトは、ドトー◯コーヒーショップ♡
主要4線が走る駅前にある店舗で、めっちゃ忙しかったですね。
朝6時のオープンから入って、毎月学生バイトの身の上で15万くらいもらってました。
 
もちろん学校なんか行く時間もなく、3年生にはなれずに留年!
当時家業が傾き始めていて中退も考えたんですが、最終的には通わせてもらうことになりました。
 
と、今ではサラッと書けますけど、留年通知書を見たときの母の顔は恐ろしくて見れませんでしたね~。
その後の修羅場は…数日間に渡り…想像にお任せします。笑

わたしの働いていたドトールは場所柄とにかくスピード命な店舗だったので、お客さんをいかにさばくかということに命をかけていたんです。
朝とお昼のピーク時は本当に地獄絵図で、息をするのがやっと。
でもそんなピークをやりきった達成感といったら最高でしたね!
 
と思っていたのはどうやらわたしだけだったようで^^;
あるときお店にクレーム電話が。
「最近入った朝の女、態度悪すぎなんだけど!!!」
 
…うわ!それわたしだ!!!!

もう皆さんお気付きかと思いますが、当時のわたしはコミュニケーション能力なし、態度も最悪、第一印象ダメダメ女だったんです。
小さい頃から抱いていた「人と違うのはいけないこと」「本音を話したら嫌われる」という恐怖。
だったらなるべく深く付き合わず、こっちからアクションかけるのはやめよう!って強く思ってるわけですからね。
 
そりゃあ自ずと態度は悪くなるし、第一印象なんか良いわけないですよね。
この女と仲良くなりたい!なんて、普通は思いません。
 
その後就活が控えてるわけですが、態度悪くてコミュ力なくてダブりの女なんてどこも採ってくれず、結局30社くらい落ちました。
今ならこんな女取るわけないだろ!ってわかりますが、やっぱり当時のわたしには理由がわからない、その事実が認められなかったんですね。
 
サッサと認めちゃえば楽にもなれたのに無駄にとんがっていたので、特に就活は本当~に苦労しました。
 

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成功法則がわかると上手くいく。


苦労した就活ですが、一番怖かったのがグループ面接。
一時期ドトールと牛角を掛け持ちでやったことがあったんですが、牛角は1ヶ月でリタイアしました。
 
なぜならノリがサークルみたいだったから。
店員同士みんな仲良くて、みんな「ウェーイw」な世界。
当然ながら!ここでもぼっちです。
 
就職試験のグループ面接では、このウェーイ系の人たちのコミュ力の高さにまじでビビリました。
普段校内にいてもわたしのことなんて相手にしないだろうリア充の人も、就職試験となるとなんとも朗らかに話しかけてきます。
そして自分の意見と体験をしっかり爽やかに披露し、グループディスカッションでは素晴らしいリーダーシップ!!惚れるわ!!!
同じ学生だなんて信じられませんでしたね。

人には黒歴史って色々あると思いますが、わたしの就職中の黒歴史は2つ。
1つは超第一志望のハウスメーカーの二次面接で、志望動機を話してるときに感極まって泣きました。
もう1つは中堅デベロッパーの三次面接で、「愛読書は?」と聞かれ三島由紀夫の『憂国』を語り出して引かれました。
 
あなたの成功法則はなんですか?
あなたがうまくいってる時ってどんな状態ですか?
 
真摯な気持ち、冷静沈着な態度、ワクワクした感情、、、
色んな成功法則があると思います。
 
わたしの成功法則は、「情熱」です。
熱意が伝わると、例えばクロージングも成功するし、契約取れるし、口コミも人脈も広がる。
うまくいってる時ってどんな状態だろう?って考えると、わたしはこれしかないんです。
 
でもこのときはまだまだ効果的な熱意の伝え方、分かってなかったんですよねー。
そんな大学5年生、23歳の冬。
 

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大学5年生


ことごとく面接に落ち、人格すら否定された気分でいた大学5年生の冬。
でもとにかく受けるしかないんです!
履歴書送って面接してもらわなきゃ生きてけないんです!
 
そんな時はシルベスター・スタローンのことを思い出してなんとか奮起してました^^;
今でこそ超有名ハリウッドスターであるロッキーですが、彼はオーディションを1000回以上断られ続けたと言いますから。

わたしの学部は法律だったんですけど、大体みなさん公務員とか資格試験とか目指していて、ガチで就活している人は少なかったです。
当時わたしは自分が何をしたいのかなんてわからなくて、エントリーもただ大きなものを扱いたい!というだけの理由で不動産業界に絞っていました。
 
大体これまでの教育で、自分がやりたい仕事を見つける方法なんて教わってないし、世の中どんな仕事があるかなんてわからないし、むしろみんなどうやって志望先を見つけてるのか?どうやって志望動機を話してるのか本当に謎でした。
 
学校も行かずに友達も作らずにバイトに明け暮れて、夜は毎日のようにお酒飲んで朝帰り。
特別ハマってる趣味もスポーツもしてない。
すっごく無駄に長く、それでいて最高に有意義な5年間でした。

唯一仲良くしていた友達がいるんですけど、その子といる時はなーんにも考えないで、好きな音楽と稲中の話して、お酒飲んでラーメン食べて…
まるでタバコの煙のような時間。
戻りたいか?と聞かれればNOだけど、あれがわたしの青春だったんだなーと思います。
 
それまで本当に一生懸命何かに打ち込んだことってなかったんですよね。
部活もやってないし資格試験も目指してないし。本気で将来どう生きたいかなんて考えたことがなかった。
 
まさに「やりたいことがわかりません!」
そんな若者だったんです。
 

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人生を簡単に変える方法


やりたいことがわからない!!
そんなずっと無い内定だったわたしも、ついに内定をもらう日が来ました♡
 
内定先は…またしても当時のわたしがバカにしていた事業用地の仲介業。
数千坪単位の物件に特化した賃貸業者に就職が決まったんです。
 
いますよね~!周りをバカにして見下してる人って。
結局見下すってのは同族嫌悪で、自分がそこのステージにいなければそんな気持ちにもならないんですよね。
ステージが違えば見下すどころか、見ることだって、その存在を認知することすらないんだから。
 
自分だってそのバカにしている環境にいるのに、むしろそのバカにしている環境にしかいられないのに、なぜか「自分だけは違う!」って思い込んでる。
そんなことを学生の頃からずーっと繰り返して来ました。
環境を変える勇気も、自分が変わる勇気もないのに憐れですよね。

わたしが初めて就職することになった会社は、古き良き中小企業。
歓迎会では座敷を貸し切り新人は全社員にお酌して周る、みたいな。
新人は一番早く来て先輩たちの机を拭いてお茶入れて待機、みたいな。
 
田中真紀子みたいな泉ピン子みたいな上司がつきっきりで研修をしてくれました。
本当に手取り足取り、社会人のいろはから教えてくれました。
この会社に入って唯一感謝してるのはここだけです。
 
独立してから名刺交換してもちゃんと名刺を受け取れない、渡せない人ってすごく多いことに気付いたんですよ。
まぁ今の時代そんな形式的なことってあまり意味もないのかなとは思いますが、古き良き伝統とか大好物なわたしは、そんな形式美も大切にしてます^^

文句を言うのは簡単だけど、いかに自分が幸せに生きるかって言ったら、やっぱりどう捉えていくかってことだと思うんですよね。
それは本当に常に意識して生きてます。
 
つまらない話聞いてもつまらない本読んでも、必ず何かしら自分に有益な情報はあるから。
自分がどこを持って帰れるかで人生変わって来ますよね。
 
情報型社会と言われている現代だからこそ、特にそう思います。
常に自分がどう生きたいか?どう在りたいか?
決まってたら、どこを拾えば無駄がないのかも明確になりますから^^
 

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初めてのアポイント


やっとの思いで新社会人になれたわたし。
新しい世界、生まれたてのヒヨコのように、見るもの聞くもの素直に受け入れていきました。
 
わたしの部署はピカピカの営業部門!
入社後1週間もすると、鬼のテレアポが始まります。
 
電話帳の「あ」から順番に、毎日何百件と電話して、アポイントが取れたら晴れて外出!
外の空気が吸えるってわけです。
 
しかし売り物は1,000坪単位の事業用物件…。
それを電話で買いますか?って話なんですよ^^;
千三つとは言ったものの、いや~効率悪かった!!

研修が始まり1日何百件電話して、やーっと1、000件も越した頃。
ついにアポが取れました!
 
初めてのアポイントは、忘れもしない神田の商社。
ガクガクブルブルしながらの初プレゼン!
 
残念ながら、まさかの10坪くらいの書類置き場としてスペース借りをしたかったそうで、全く引き合いにはなりませんでした^^;
 
が、それもまた勉強ー!
営業の仕事はアポイントを取ることではないですからね。
いかに中身のある引き合いなのか?最終的に契約してもらえるのか?
事前のヒアリングの大切さを痛感しました。

そして、晴れて外出できた日は手当たり次第に飛び込み営業。
工業団地や倉庫街、東京砂漠の中を、名刺を手裏剣のように配り歩くという日々でした。
 
もう本当に、笑っちゃうくらい昔ながらの営業方法・経営方針の会社なんですよね。
でもわたしは生まれたてのヒヨコだったので、ビビりながらも会社ってそういうもんなんだ、と素直に頑張っていました。
 
体育会系の部活やサークルをしてこなかったわたし。
このときの頑張りが、今のわたしを作ったと言っても過言ではありません!
 
とにかくかかとが擦り切れるまで歩いたし、喉が枯れるまでテレアポ。
ひたすら数をこなす、という仕事をこなす毎日。
笑いあり、涙あり、毎日ドラマチックでした。笑
 

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来る日も来る日もテレアポ要員


鏡を机に置き、ひたすら笑顔を作りながらのテレアポ。
寝ても覚めてもテレアポ、テレアポ、テレアポ…。
 
毎日何時間もひたすら架電して、そのうち喋ってるのも忘れるくらいオートマチックに意識も朦朧としてきます。
そんなときにネチっこくいや~な対応で電話ガチャ切りされて目が覚めたり…
はたまた心温まる、ホロっとするような優しい言葉をかけてもらえて目が覚めたり…
 
電話帳で番号を押すだけなので、どんな規模の会社で、どんなスタッフが対応しているかわからないんですよね。
せっかくアポが取れても、行ってみたら日本語の通じない中東の人の自宅だったり(絨毯売ってました)、某超大企業の役員だったり(役員室の番号が載ってたんですね!)
毎日いろんな出会いがありました。

テレアポ中にひどい対応をされた時や、就活の時の圧迫面接もそうでしたが、こんな時って本当に不思議でならなかったんです。
 
「わたしがお客さんになったらどうするの?」って。
 
弱者に強く出る人。いずれ自分に返ってくるのにね。
そういう社会の裏側じゃないですけど、エネルギーの循環を感じた出来事です。
 
 
そうこうしているうちに、新卒で入った同期が1人、また1人と辞めていきました。
最初に辞めた子はちょうど研修期間の終わる3ヶ月目。
3ヶ月目にしてアポが1件も取れてない、ということで研修期間を延長される話し合いをしているときでした。
 
いきなり扉をバーン!!!と開けて飛び出してきた彼女。
ひどいことを言われたようで、その場で泣きながら荷物をまとめて帰って行っちゃいました。
 
そのあとも半年、1年、2年かけて何人も辞めていき、とうとう残ったのはわたしともう1人の男の子。
当時は「やると決めたからにはやってやる!!」という思いで続けていましたが、今思うとさっさと辞めた同期のみんなは賢明でしたねー^^;

ある時たまたまその残った同期と2人で外回りに出ていたら、めっちゃ西陽が眩しかったんです。
あれは夏の暑い日。わたしが社用車を運転していて
「今度サングラス持参しなきゃヤバイわこれ」みたいな会話をしていました。
 
…そこで事件が起こったんです><!!!


めっちゃ西陽が眩しかったあの日。
忘れもしない、夏の暑い日。
埼玉の裏道を走っていたあのとき。
 
今日も収穫なかったなー。いつになったら給料上がるんだろ。
まじ暑すぎじゃない?なんて話してた横から…
 
いきなり車が飛び出てきてズガーン!!!
ものすごい衝撃で、当時プレミオかな?運転していたトヨタの商業車。
運転席側に突っ込んで来ました。
 
とっさに車を寄せて隣を見ると、同期の男の子がメガネを吹っ飛ばされたらしく
「メガネメガネ…」と手をバタバタさせてました。
 
とりあえずその子を車内に残し、相手の車に向かうと…
煙もくもく!ラジエータ液だーらだら!!
 
大事故でした。

初めての事故で、頭が真っ白になったわたし。
相手のドライバーも同乗者も、見たところ大きな怪我はないようで本当にホッとしました。
(めっちゃ怒ってましたけどね。)
 
警察も来たので会社の車に戻ってみると、

同期はまだメガネを探していたー。
 


ただでさえ昔気質の会社。
自社の保身しか考えていない会社。
そして死ぬほどケチな上司。
でも報告しないわけにはいきませんよね…
 
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!
右反面 大破してウィンカーもつかない車に乗って、えっちら会社に戻りました。

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飼いならされた社畜


新卒で入った会社。
2年目で事故を起こしました。
 
しかも相手は某ディーラーのセールスさんとお客さん。
翌日の納車を控え、買った車の試乗をしようとお店を出たばかりでの事故でした。
 
事故自体は、完全にわたしの前方不注意。どんな言い逃れもできません。
とにかく相手に怪我がなかったことが救いです。
 
そのままフェードアウトをしたい気持ちを抑え、埼玉県草加警察署からなんとか都内の会社に戻ったわたし。
当然のように待っている上司×2。
駐車場で仁王立ちです。泣
 

 
なぜ事故なんか起こしたのか!?
なぜ埼玉でアポとっちゃったのか!?
なぜ同期と2人行動してたのか!?
なぜあんな西陽が眩しかったのか!?
なぜこの会社入っちゃったのか!?
 
もう~どんなペナルティが待ってるんだろうか?
減給されるのかクビ宣告されるのか…?
頭の中はぐーるぐるです。
 
いっそのこと減給、最悪しばらく無給でもいいからクビにだけはなりませんように><
って祈ってました。

後日、上司の上司から呼び出されたお達しは
まさかの…
 
 
 
二択!!!
 
 
 
もう車は運転させられない。
だから営業辞めて事務になるか、それが嫌なら会社辞めなさい。
しかも事故を起こして来年から保険料上がるのでその分払いなさい、と。←!!??
 
営業で入ってるので事務になったら仕事内容も勤務形態も給与体系も変わります。
事務職になるなら給料天引きにするけど会社辞めるなら一括で保険料分いますぐ払いなさい、とのこと。
 
立派な社畜として飼いならされたわたしは、もちろん泣いて喜び事務職に異動させてもらいました。
本当にあった、社会を知らない社畜の怖く哀しいお話です。
 

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社畜の弊害


営業で入った会社。
外回り中に事故を起こし事務に異動になった訳ですが、いまなら本当にありえないと思います。
でも当時、立派な社畜として飼いならされてしまったわたしは藁をもすがる思いで条件を快諾したのです。
 
だって会社が条件提示してくれてるのに断る訳ないじゃん!(なぜ!?)
来年から保険料あがるのはわたしのせいだもんね!わたしが払わないとダメに決まってるよね!(なぜ!?)
だってまだ3年も経ってないのにクビになったら困る!(なぜ!?)
 
今思うと謎だらけです^^;
 

 
飼いならされるって怖いなーと思うイチバンは、「自分で判断しなくなる」ってこと。
つまり考えなくなるんです。
 
上司が言ってるから。
会社が決めたことだから。
 
ちょっとは自分で考えろよと思いますが、考えることができてたらさっさと辞めてますよね。
安心して社畜として働けるのも本来守ってくれるはずの「会社」という組織があってこそ。
それを来年から保険の等級あがるからってその分出せって…
これってヤバすぎませんか?

そして何よりもおかしかったのは、営業で入ってるので事務になったらもちろん仕事内容も勤務形態も給与体系も変わります。
業務内容は営業アシスタント&テレアポ。
でも今度はアポイント取れても商談に行けないし、インセンティブも付きません。
 
さすがのわたしも「あれ?なんかおかしいな…」と思うように。
営業手当がなくなり、インセンティブもなくなり、代わりに保険料分天引きと寝ても覚めてもテレアポエブリデー。
いよいよおかしくなってくる訳です。

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ついに決めました。決めれば早い。


寝ても覚めてもテレアポテレアポ。時々お茶汲み、週一くらいで郵便局に外出。
みたいな仕事を一年くらい続けたのかな?
 
もうこんなとこ辞めたい!!
でも新卒で入ってやっとそろそろ3年。まだ辞めるわけにはいかない。
堂々巡りで行き着く先は「もう少し我慢しよう!」だったんです。
 
 
いや~、本当になんでこのときさっさと辞めずに「我慢」という選択肢をとったのか?
今ではわかりません。
というか忘れました。
 

 
だって今のわたしだったら絶対さっさと辞めてるし、そもそもお金だって払わないし!
いま思い出してなんとなく思うのは、「自分に価値なんてない」って思い込んでたのかな?
 
なんの資格も強みも実績もない24,歳のわたしが、3年未満で会社辞めてどこに市場価値があるのか?
きっとそんなところだったんだと思います。
 
当時自分の気持ちを話す相手といえば、同じ職場の同期や先輩、学生時代のゼミ仲間や毎晩遊んでた幼馴染くらい。
みんな口を揃えて言ってたのは「もう少し我慢するしかないよ」だったんですよね。
 
 
いやいやいやいや!あんたおかしいでしょ!!!
って言ってくれる人は誰もいなかった。
当時に戻って「さっさと辞めなさーい!!」ってひっぱたいてあげたいけど、そんな発想は全くありませんでしたね。
本当に、自分が身を置く環境って大事だと思います。
 

 
結局、満3年を目前にパツっと辞めることになります。
散々うじうじ堂々巡りして「我慢すること」を選んできたわたしが、なぜパツっと辞めることを決められたのか?
 
きっかけは祖母の死です。
 
鍵っ子だったわたしはおばあちゃん子だったんですが、そんなおばあちゃんが亡くなって、なんかいきなり我慢するのが馬鹿らしくなったんですよね。
お葬式が終わって出社したその足で上司に言いました。
 
いま書いていて思いましたが、もしかしてわたしが自由なマインドになっていったのってこの出来事が契機だったのかもしれない…
自分らしく生きられなきゃ生きてる意味なんてないからね!
近くの人の死を見て、時間がもったいない!こんなチンタラ無駄な時間を過ごしてる暇ない!って思ったんですよね。

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史上最凶の圧迫面接


新卒3年目。勢いで辞めてしまったわたしは次の職場も決まっておらず、転職活動を急ぎました。
唯一の即戦力である「不動産」「営業」で当たったところ、池袋の投資マンション会社で面接をすることに。
 
面接には真面目そう~なおじさんと、ほっそい色眼鏡をかけたアイロンパーマのお兄さん。
このアイパーのお兄さんの圧迫面接っぷりは、それはそれは見事なものでした。

当時投資に興味を持ち始め、すでにいくつか投資もしていたわたしには願っても無い職場!
一から学ばせてもらおう!って気持ちで面接に挑んだわけですが。
 
このアイパーのお兄さんが千本ノックのように畳み掛けるんですよね^^;
「この仕事向いてないでしょ」
「女にできるの?」
ガム噛みながらわたしの答えに対して「…で?」
 
しまいには「灰皿で殴られても大丈夫か?」とか聞かれる始末。
やばいやばい!!逃げてーーー!!!
と思うのが正常な判断。
 
しかし謎のスイッチが入ってしまったわたしは「全然大丈夫です!!」と答えてたんです…。
 
 
とにかく、
負けたくない!舐められたくない!見返してやりたい!!
って気持ちがわたしの原動力。
 
まさかのここでも発揮してしまいました。泣

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 土下座に土足の衝撃

アイパーのお兄さんは部長でした。
面接が終わった後、人事のおじさんに「本当に大丈夫ですか?」と言われる始末で^^;
しかしやると決めたからには女に二言はない!!!ということで、次の日から研修が始まりました。
 
一週間の研修後、わかったことは「またやばいところに来てしまった」
 
色々おかしすぎてどこから書いていいのかもはやわたしにもわかりません。
主に業務はテレアポで、それぞれデスクの上には灰皿が完備され、話し込むとデスクの下に潜り込んでタバコ吸いながらの長話。
わたしがテレアポを始めた初日に、遅刻して来た隣の席のホスト上がりの10代の男の子は、土下座に土足で踏みつけられてました。

電話をかけるリストは、名簿屋から買った古い情報で。
会社にも個人宅にもかけまくりますが、すでに何度もかかって来ているご様子でほぼガチャ切りです。
 
これは…前の職場よりも非効率!!
 
というかかろうじて形はあるものの、会社の体をなしてません^^;
社員は人事のおじさん以外、10代から20代のヤンキー、チンピラ、ヤ○ザまがい。
みんな派手なスーツで…素肌にもみなさん派手な模様が入っていましたよね。
 
投資マンション自体、わたしはすごく魅力を感じていたし、物件がよければ恥ずべき仕事ではないと思っていたのですが。
ふと壁を見ると東京都から強引営業に対する訓告が貼ってあったり、業務停止になった過去もあるようでした。

アポが取れると、見るからにやばそうなスーツの裏地に虎の刺繍入れてるお兄さんが、ファミレスでサラリーマンにプレゼンするんです。
そもそも見た目がやばいので、会った瞬間帰ろうとする人も。
結局ファミレスで10時間帰さないで詰め続け、警察を呼ばれたこともあったそう。
 
それ、仕事と呼べるのかな?わたし、何してるのかな?
 
どんどん悪い方に転がってる気がして、、、
「前の会社辞めたばかりでまたすぐ辞めるの!?」
「いやいや、また限られた時間の無駄遣いするの!?」
って、自分の中で自問自答が始まりました。

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人生の転機


とにかく悪い方悪い方へと転がって行ってしまったわたしは、体を壊し、派遣社員になりました。
そして毎日ハローワークに通いながら、ベトナム・中国の10代の留学生たちと肉体労働や、キャバクラでバイト。

そして何よりこたえたのが、青春時代を共に過ごした親友の、オーバードーズによる自死でした。

彼もまたわたしと同じように悩み苦しみ、社会に適合できず、でもなんとか模索している中での出来事。

あれから10年近く経ちますが、いまだに受け入れられてはいません。でも、彼に恥じることのない人生は生きなきゃな、って大きなきっかけとなりました。


その後体調も回復し、学生時代の先輩の紹介で車の買取会社に就職が決まり、働き方・生き方も大きく変わりました。
 
 
ここで手にしたもの、失ったものは数知れず…


26歳の時に会社員を辞めて独立、車の輸出業として独立します。
軌道に乗ったと思いきや、311が起き在庫車は全て放射線量の測定をしなければならなくなります。


お金は出っぱなし、車はいつ出せるかわからない。そこで在庫を持つ仕事の恐ろしさを目の当たりにしたんですね。

それから10数年、現在では、会社経営に必要だった経営・マーケティング・マインド・在り方を学んだことで自分の人生は自分で選択できる女になりたい!という女性へ、『経済的自立を目指す』をコンセプトにSNSで安定収入の仕組みを作る方法を提供しています。

そのために、例えばカメラを学び、親子100組撮影会をしフォトコンで最優秀賞を受賞したり、電子書籍はAmazonランキング1位を獲得したり、セミナーを毎月開催したり、出版社で講演会をさせてもらったり、、、と、色々なリソースを積み上げてきました。


ライフスタイルの多様化で、独立・起業という選択をする女性は年々増加の一途を辿っている現代。
その影では高額起業塾で何の成果も得られずに、会社員時代の蓄えだけが減っていくという体験をされている方が増えているのもまた事実です。

この結果だけを見て「わたしには独立・起業向いていなかったんだ」「どうせわたしは自由になれないんだ」と自分の夢を諦めてしまう方。
独立してなんとか利益は出せるようになったけど、パートアルバイトしないと生活が間に合わない、もっと大きく発展させたいけど何をするにも資金が足りない、今はいいけどこの先3年、5年、10年とずっとお客さまに愛されて行く自信がない、という方。

そんなせっかくの決意や覚悟を、現状だけを見て諦めてしまっている女性のために「経済的自立を目指す」ことをミッションとし、セミナーや講座を通してサポートをしています。


実際、「これからの人生、どんな対策取ってますか?」ってメルマガ読者さんに質問したところ、たくさんのメッセージをいただきました。
 
一方で、「これで合ってるのかわからない」ってコメントもいただいたんですね。
 
やっぱり今の時代、「これさえやっとけば大丈夫!」ってわけにはいかなくなってるんですよね。
わたしも買取会社を辞めて独立してからしばらくうまくいってたんですけど、そりゃあ10数年もあれば色んなことがあります。


でも、なにがなんでも切り離せないものは

『健康と経済、そして自分自身の在り方』

なんですよね。


そこで、誰かの何かのきっかけになったらと…
お気軽にご相談いただける入り口をご用意しました^ ^

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どんな生き方をしたいか、どんな在り方で生きていきたいか。これはわたしたち全ての人間が持つ権利です。限られた時間の中で、自分らしく在りたい人はぜひ一歩踏み出す勇気を持ってくださいね^ ^

超ウェルカム!な心でお待ちしております。


最後までご覧いただいたみなさん、本当にありがとうございました♡

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