斎名智子さん「ほんとうは、なくてもいいもの。」サキヨミ感想

最近まで心屋智子さんとして広く活動されていた斎名智子さん。何やらこの度「ひょんなことから」人生に大きな転機となって、このたびお名前を変えられて再スタートされたそうで。その記念といおうか節目に本を出されるということで、その一部原稿を読ませていただける変わりに感想をシェアするキャンペーンに参加させていただいていいたので、以下に。

本書の構成は、サキヨミ原稿の本文から引用すると、「超シンプル」な「2章立て」。

1.「ほんとうは、なくてもいいもの」

2.「これだけは、だいじにしたいもの」

その理由は、

1を手放し、2を大切にするだけで、「間違いなく人生は輝きを増すとわたしは信じているからです。」と智子さんは言う。

そして目次を読むと、ワクワクドキドキ刺さるような事柄ばかり。

全部読んでみたいなぁ。

そのうち、気になった「血だらけの人に『力になりたい』と言われても困るだけ」(1より)「『良い・悪い』よりも『快・不快』に鋭くなること」(2より)について思うこと。

智子さんは、他者に対し、「なんでもかんでも『助ける』という選択はしたくない。」と言う。「それは『助ける』ことは一見、愛情のようで、相手の学びの可能性を奪うことがあるし」「それこそ承認欲求のためにやっていることってあるよなあと感じることとがある」からで、「ただ、『助けたいとは思わない』とお伝えしたわたしも、『人の力にはどんどんなりたい』とは思っています。」「『力になる』とは、その人の可能性を信じているということだから」と。…とても鋭い指摘だと思う。親子でも上司と部下でもパートナーでも、人間関係において、もっとも大切なことは「信頼」だと私も思っている。智子さんの明快な言語化にスッキリする。

そして、「それには、何よりも先に自分を満たすことがいちばん大事だと思います。」とのこと。日本人は特に、自分を蔑ろにしやすい傾向があるし、愛する大切な人や物事(仕事やお金もや趣味等)があると、つい自分をその下に起きがちだ。難しいけれどとてもとても大切なこと。

また、智子さんは、「(正誤や善悪等の判断規準では)損得勘定がつきまとう」ので、判断基準は「快か不快か」を大切にしているとのこと。「『快か不快か』それが自分の本音に寄り添うのにとっても便利な問いかけだと思います」と仰る。

実はこの規準、智子さんとも交流がある江島直子さんの著書「人生が再生する鳳凰メソッド」(KADOKAWA刊)でもことがある。…ので私には馴染み深かったりするのだが、じゃあ実践できていますか、と問われれば、難しい。

会社勤めをしていると、はっきりしている。マニュアルがあったりするので、明文化された禁止事項は明らかにNOであるし、和をもって尊しと考えるうちに、自分の本音が見えなくなりやすい。

というわけで、この本に書かれていることは、とにかく実践が大事だ。努めていきたい、と思う。

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