環境の下地作り

本当にタイトだった、8月過酷、9月続過酷、そして10月…は、家庭内、めちゃくちゃ…だった
ナチュラル、リアルワールド、凄い、この目で見ている映像、脳内にこだまする悪夢のBGM、体感度。自我の罪悪と喪失感、嘆き。体の衰え。
そこらのドラマ、たいていの映画がつまらないわけだよ。

美ら海水族館の内庭の花壇のハイビスカス、この旅行も実は土壇場でキャンセルしざるを得ないことまでに⁉︎俺たちの仲に亀裂が…もなんの園であった


毎日のルーティンの中の3人の子育て部門はホンマにしんどい、子供ら3人が束になると、ちびっ子ギャング化してチャージアップしてくる。それで親の立場で注意、叱り、かたや無言、言い訳、泣き喚き、叫びの繰り返しかと思いきや、またはやんわり、時折ほんわかするこの生物たち。しかし毎回エネルギー燃焼はめちゃんこはやく、コントロールがきかない。なんというかよくもまあ、そんだけ暴れまくる無双状態だからナチュラルアナーキストばり➕親に対してこうしたら困るという事をわざとやるこを覚えてきたので、カオスで頭が真っ白になることもある。まだまだこれからくる先のことに希望を強めず、気楽にいたい、わずかな達成感でもつかみたい、安息を好みたいんだ。放任主義のように楽する方が良いけどその反面、自分の幼少期を振り返るとそうしてる事で時間のもったいなさ、閉塞感を増すことになるような。我が子を育ててまだ長男は6年、僕の中の中枢には我若き時の悪き時代のロックの亡霊に囚われていてそれがまだ消えない。本当にどうしようもない。その単一的に吸収するまたは充電したエネルギーは仕方がない自分の個性だから。10代から今までもやり続ける飽くなき曲作りの事です。どんなに空っぽに、何か頭を殴られて精神が飛んでしまった時も、大事件があっても、我が子が生まれていても、これから呆れるほど来る困難に直面しても、たぶんその衝動は消えない。

オレのロイヤルストレートフラッシュ
おにぎりの作り方は母から教わった
他にも質素で素朴な食材を最大限に活かす味付けの方法を教えてもらった


今も続けてる民泊は僕にとってゲストとの会話はとても楽しく、まるでささやかなタイムマシンに乗ってきたみたいな気分になる。なんの惜しげもなく僕は彼らに上等な朝食を作れる。
得意さ。いつかのベトナムで食べた朝食、パリの時は、あのお皿に山盛りなクロワッサン、その突き抜けた美味さ、一生忘れない。

ゲストから感謝を受けるけど僕は、全く次元の違う国からはるばる来た彼らに会えた事に感謝している。その達成感を私の両親や兄達は1ミリも理解が無かった。そういう悪意とは別に、僕はカミさんとの出会いで多幸感を受けた。それだけでもこの人生になんの悔いはない。

しかしバランスを求めるなら、今は我が子らがゲスト達の持つ世界のにおいに気付く日を僕は待ち望んでる。それが本当に素晴らしい事だから。他人からすれば多少大袈裟に聞こえたようでも、こんなん所詮自分の作る我が人生の物語。ただ、他力本願でなくオレが指揮者でいたい。それは僕の愛する音楽(パンク)が教えてくれた。
次回は音楽の話を書きます。