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キャリア教育で可能性を伸ばしたい!

キャリア教育があれば、私の人生だってこんなに遠回りしなかったのだ。

私は、なんと39歳まで自分で決断が出来なかったのだ。

今の私からすると、当時の私は、自分の中に沢山のブロックがあって、それはそれは複雑に鎖が絡み合ったようだった。

幼い時から、なんでも親が決めていた。
服を選んだことなど1度もなく、なんならバザーで買ってきた服か、姉のお下がりだった。

別に我が家は貧乏ではなかった。上場企業に父は勤めていたからそれなりに収入はあったはずだった。

物心着いた頃にはスイミングを習わされていたが、ある日、私は幼なじみの通うそろばんに行った。そろばんの体験はとても楽しかった!帰宅してすぐに母に、プールをやめてそろばんを習いたいと言った。母は、姉と一緒にプールを習ってるんだからプールに通いなさいなどと、聞く耳もなかった。

その後、今度はクラスメイトの誘いで公文の体験に行った。そしてまた、帰宅してすぐに、母に頼み、それも却下された。

しかし姉が突然英語を友人と習いたいと言い出すと、私もプールを辞めさせられ強制的に英語塾に入れられた。

英語の塾には1人も知り合いがいなかったし、もっと言うと男の子しかいなかった。

困った私はクラスメイトと部活の子を誘って英語塾に引き抜きした。無事女の子は4人となり、英語の塾はそれなりに楽しかった。

しかしこの事がきっかけで、いつも自分を尊重してくれず、自分の都合ばかり押し付けてくる母を毛嫌いするようになった。

高校3年生の進路選択時も親と大喧嘩となり、父と母の2人がかりで大学進学を勧めてきた。私は看護師になるため、専門学校に行きたかった。
しかし、かたち上は2:1となり、私は大学進学することになった。私は親を説得出来なかった。

そして成人した後も一人暮らしをするために契約したアパートも、親が解約したなんて前代未聞だと思う。

そして今、母となり、改めて尊重されていなかったことを思い知ることになった。
私は尊重されなすぎて、私の願いなど聞いてもらえる訳もなく、叶うはずもないと思うようになっていた。

それがある日、突然私は解放され、自分の生き方をしてもいいんだと思う様になった。

その時に、今まで感じたことの無い自由と、後ろ盾のない心細さを感じた。
自分で全て決めていい。そして誰のせいにもできない。
初めて私は自分の人生を歩んだ瞬間だった。おっかなびっくりという表現が1番ピッタリだったと思う。
私は自分らしく生きる歓びをみんなに教えたいと思った。

子供たちの可能性を潰されることのないように、
子供だけでなく保護者も一緒にキャリア教育を知って欲しい。
自分を信頼出来るように、達成感を味わって自信をつけて欲しい。
未だ見ぬ力を発見するためにチャレンジして欲しい。


子供たちの可能性が
日本の未来を明るくする
と確信しているから
私はキャリア教育を広めたいと思っている。





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