漏れそうな無い話

おしっこがしたい。

 「じゃあすればいいじゃないか」とまあ、言うのは簡単かもしれないが、排尿したいけどできないこの時間が、自分の人生に意義を持たせていることを知っていた。したらダメなんだ。この花火が終わっちまう。この時間は自分の人生を彩るものなのだ。自分の居場所を作ってくれるのだ。

 義務教育も終わり、社会のレールも自分で敷かなければいけない年齢となり、何が正解か分からない生活が始まった。自分の正解は自分で決める。自分の足で人生を切り拓いていくんだ。
これのまあなんとカッコいい自由なこと、これのまあなんと恐ろしいこと。
何をやってもいい反面、自分の人生は自分で決めなければいけない空虚さが毎日を襲うのである。

さて、おしっこがしたい。

この時間は幸せなもので、おしっこのことだけを考えていればいい。
自分による自分なりの生きるレールが敷かれるのである。
最近のよくあるゲームみたいに、1番すべきToDoが画面上部に出る。
もしくは、近くにいるNPCに話しかけると教えてくれる。「西の洞窟には魔物が…いいから、キミはおしっこをしなきゃ!」「西にいる魔物が…キミはおしっこをしなきゃ!」何度話しかけても同じように教えてくれる。

そんな気分なのだ。
尿意がある間は自分の人生を楽にしてくれる。
間違いない人生を作ってくれるのだ。
その間はおしっこのことだけ考えればいいのだから、とても幸せである。

これは"無い話"なので、私はいま別段尿意をもよおしたりしていない。
つまり、人生が路頭に迷っている時間を過ごしているのだ。
何をするか自分で決めていい時間、それは今の自分には少し扱いにくい時間だ。

漏れそうに、なってくれ。

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