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家庭教師の仕事が面白い



こんにちは。お久しぶりです。


最近、家庭教師のお仕事が面白くて仕方ありません。


ひとりひとりに対して実験の繰り返しですが、本人が苦手だと言っていたものでも実は理解はできていて試験の時間内に終わらせることができないだけと分かったから、『スピード』さえ強化したらいいということなら時間を計って取り組めばいいね、となったり。

やる気がなかなか出ないのかなぁと言う子にまだ全く習っていない分野の入試問題を渡したら、意外と調べて取り組んできたり。

もう既にできることを学校のワークでやるのが嫌なだけか、とわかった子には発展問題を渡したら、楽しそうに一生懸命考えてイキイキしていたり。

『ダメなやつ』は本当にいないなぁと心から思っています。
本人が、見失っている自信を掘り起こす作業が、とても楽しく思います。



私は小学校〜高校では感情で子どもを怒る大人たちにたくさん怒られてきましたが、全く意味不明でいまだに納得できない、単なる邪魔、足を引っ張られたなぁと思う事が多々ありました。
よりレベルの高い高校を選べる、という時になぜか『石巻の学校にしなさい』と、理由を聞いても『自分の母校だから』という全く納得できない理由を言われ、父親には『目立つことをするな』と強制的に、勝手に高校を決められたフラストレーションは、いまだに心に沈澱しています。

それは私が生意気で、彼らが求める『リスペクト感』を表現できていなかったからだけなのかもしれないと思います。
しかし、その『リスペクト感』を彼らも表現してはくれなかったから、お互い様だな、というだけの話だと思っています。


わたしは、家庭教師をする時に最も意識することは『一方通行にならない』ということです。

わたしに対して、お世話になったとか先生のおかげですとか思って欲しいわけではなく(言われたら照れるし嬉しいですが笑)、

本人が『自分が頑張ったから、この結果をゲットしたんだ。』

と思って欲しい。宿題もいくつか提案して、自分で選ばせます。
やってこなかったからといって、怒りません。

その宿題が本当に子どもたちにとって必要なものなら、やってくる。
必要だということを理解できていないのなら、根気強くその必要性に気づかせてあげるということからしなくてはなはないと思います。


私は、自分の心にまだ残るモヤモヤと共存しながら、それを子どもたちの現在進行形のモヤモヤと同じ視点に近づいて考える材料にして、この仕事を楽しんでいきたいと思っています。



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