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日韓併合期の半島の暮らし

 この新聞記事は、金柄憲(キム・ビョンホン)氏が紹介したTWからのもの゛てす。
 それによると1939-01-28 のものです。当時の半島の都会京城では、空前の不動産物件不足だったのでしょう。不動産仲介業者の乱立と競争激化で、物件探しが度を越した状態に成ってしまった様ですね。
 尚、翻訳は、Papago機械翻訳を使っています。

福德房(不動産屋)に身元票
   公認マークがあっての人家の出入

 福德房に身元票
  公認マークがあってこそ人家の出入
    鍾路署管內で實施

「家見に来ました」とそっと、ずうずうしく人の家に出入りする仲介人
〜都会生活の先夫として、長安路地裏に福徳房は一風変わったこの風景を見せており、これらの仲買人たちに一定の「マーク」を胸につけさせ、不定の仲買人を一掃することになった。
 長安北部の一帯には現在、不動産屋の語一百余りに三百の仲買軍がいつでも他人の住宅を出入りしているのだが、ここによる百害がまた少なくないため、ひどい時は女の人がひどい目に合わせらる。家に来て、くだらない言葉で戯れるが、それが不動産屋から来た仲買人なのか見分けがつかないのだ。
 多大な弊害が発生しているため、不動産屋制度を改善する意味で、府内清進町五十番地の京城疎開営業北部組合所属の不動産員には、今年の二月一日から所定の「マーク」を持たせ、住民に迷惑をかけないようにした。
 鍾路署署も言語を公認し、マークを付けなかった仲買人は家の出入りを厳禁とすることになった。
(写真は不動産屋とマーク)

※マーク:「京城紹介營業★北部組合★」との縁文字の中に「紹介」の文字

原文

 福德房에身元票
公認마―크있어야
人家出入

京城紹介營業★北部組合★

鍾路署管內서實施


"집보러 왔읍니다" 하고무시로
거침없이 남의집에 드나드는거간군(仲介人)
 도회생활(都會生活)의 선 부로 장안(首都) 골목골목에 본덕방 (福德房=不動産屋)은 한색다른 이 풍경을 보히 고잇 는바, 이 거간원 들에게 一정한 (一定の) "마크"를 가슴에 달게 하여, 부정 거간군(仲介人) 을 一소시키기로 되엇다。

장안 북부(北部)일원에는 현재 복덕방(不動産屋)어一百여곳에三百의 거간군(仲介人) 이 맞어한달 동안 의
토지(土地) 건불(建物) 먜매소 개 만 百五十 여견 셋방소개무릇 六七百여 건 이 로말미암아 三百의 거간군(仲介人) 이 무시로 남의 주택을 출입하고잇,
거니와 여기서 따른 퐥해가또 한 적지안코, 심한때는 여인이 혼저엇는집에 드러와서, 쓸데없는말로 희롱하나 그가 복덕방(不動産屋)에서 온거간군(仲介人)인지 분간할수가 없
어허다한 페해가 발생되고, 잇 으므로 복덕방(不動産屋)제도를 개선하는 의 미로 부내청진정 (清進町) 五十번지 경성소개 영업북부조합(北部組合)소속 보덕방원들은 오는 二월一일부터 소정한『마크』들 갖게하야 주민에 게 폐해를 끼침에없도록하기로 되엇다。
소관종로서(鍾路署)서도 어를 공인하 야 마크 를 부치지안은 거간군(仲介人)은 남의집출입을 엄금하기로 되엇다。
(사진은 복덕방 과 마크)

소관종로서(鍾路署)서도 어를 공인하 야 마크를 부치지안은 거 간군은 남의집출입을 엄금하기로 되엇다。(사진은 복덕방 과 마―크)

翻訳原文の置換箇所

  1.  제방소개→셋방소개
    제방は誤りとして셋방が提示されたので。
    これで意味が通りました。

  2. 페해 → 퐥해

  3. 본덕방 (福德房)→본덕방 (不動産屋)
    原文に在る「福德房」とは「不動産仲介業」のことです。

  4. 거간군→거간군(仲介人)
    強制的に「仲介人」と訳させたかったので置換でも「仲買人」に成る

  5. 一정한 →一정한 (一定の) 
    一律等他の訳もありかもです。

あとがき

 人の文化とは、この様な小さな民間の工夫が、社会に認められそれが拡がって行くことで、社会に根付いたものの、数多くの積重ねで出来上がって行きます。その社会の実体と言葉が結びつくことで、その文化は世代を越えて伝承され、文明と言われる厚みのものに成って行くものと思います。
 てすから、そんな文化承継を続ける家系や技能集団等が長く数多く、リセットされることなく、続いたところが、結果としては豊かな文明を共有するとこになるのです。
 これと、反対の行動が、民族主義や排他主義と言うものがあります。自身が持つ文化だけで、充分な群れは何処にもありません。自らの文明を大事にした上で、刺さるものを刺さる形で付加して行く心は、大切なのだと思います。
 しかし、逆に、自らの文明を削ることになる様な、文化の受入れは、鉢植えの「根無し草」として、短命の輝きに終わることになるので、拒絶すべきだと思います。
 この記事の様に、小さな工夫の積重ね。それが出来る社会を育むこと。人類にはそれが大切なのだと、自分は思います。

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