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[ペンアンド手帳/パク・スンジョン]OHMYニュース金・ジョンソン市民記者、重要なことはそれでない

 この記事は、韓国、©ペンアンドマイクの以下の2022.04.15掲載記事をPapago翻訳したものです。


コラム
[ペンアンド手帳/パク・スンジョン]OHMYニュースキム・ジョンソン市民記者、重要なことはそうじゃありません。

パク・スンジョン記者

初承認2022.04.1507:53:58
最終修正2022.04.1507:53

関連記事
市民団体、「日本軍慰安婦被害を訴える」李容洙(イ・ヨンス)さん、偽証罪で刑事告発(和訳先のリンク)
[単独]1946年に帰国船を聞いたという李容秀…市民団体、偽証罪の告発に乗り出す(和訳先のリンク)

この30年間、「日本軍慰安婦」の被害事実を主張してきた李容洙(イ・ヨンス)氏は、初期証言で「赤いワンピースと革靴を受け取って『いいね』とついて行った」とし、後で「夜中に日本軍兵士達が自宅に押し入り、私の背中にとがったものを当てて口を塞いで強制的に連れて行った」というふうに言葉を変えた。「日本軍慰安婦」被害者を支援する関係法律によって「日本軍慰安婦被害者」に登録され、国家から各種支援を受けてきた李氏に、「証言内容が劇的に変わった理由は何か」と尋ねるのが道理であり、納税者としての韓国人の権利だ。

パク・スンジョン ペンアンドマイク記者

私は1991年から今迄「日本軍慰安婦」の被害事実を主張してきた李容洙(イ・ヨンス)氏が「偽証」の疑いで告発されたという話を取材し、記事にした。すると、左派系メディア「オーマイニュース」の市民記者、金ジョンソン氏が、「とんでもない理由で告発された李容洙(イ・ヨンス)さん」というタイトルの記事で、李氏を刑事告発した金炳憲(キム・ビョンホン)国史教科書研究所所長兼市民団体慰安婦法廃止国民行動代表の主張に反論した。

金所長はこの数年間、街頭で「日帝が朝鮮の女性を強制連行し、日本軍慰安婦にした」という主張が「虚偽」だと主張し、これ迄の研究結果を総合して「30年間の慰安婦詐欺:赤い水曜日」という本も出した。

金所長の主張は簡単で明瞭だ。「日帝下日本軍慰安婦被害者に対する保護・支援及び記念事業等に関する法律」(慰安婦被害者法)が定義する「日本軍慰安婦被害者」は一人も存在しない」ということだ。

「慰安婦被害者法」は、「日帝によって強制動員され、慰安婦として生活を強要された被害者を保護・支援し、日本軍慰安婦被害者の名誉回復と真相究明のための記念事業を遂行することにより、これらの生活安定と福祉増進を図り、国民の正しい歴史観の確立と人権増進に資する」ことを目的として(第1条参照)制定され、同法によると、「日本軍慰安婦被害者」とは、「日帝によって強制動員され性的虐待を受け、慰安婦としての生活を強いられた」女性をいう。

金所長は、つまり日本帝国の公権力は朝鮮の女性を「慰安婦」に強制動員し、従軍しながら慰安婦として生活するよう強要した事実はないと主張するのだ。

オーマイニュースの2022年4月8日付の記事
「とんでもない理由で告発された李容洙(イ・ヨンス)さん」の内容
(キャプチャー=オーマイニュース)

金所長が今回「偽証」容疑で刑事告発した対象は、「日本軍慰安婦」被害事実を主張してきた人物の中でも広く知られている李容洙(イ・ヨンス)氏だ。2020年4月から同年5月の間、計3回の記者会見を開き、正義記憶連帯理事長出身の国会議員当選者尹美香(ユン・ミヒャン)氏を批判、所謂「正義記憶連帯慰安婦被害者利用論議」のきっかけを作った。

金所長は、「李氏が日本政府を相手取って起こした損害賠償請求訴訟(ソウル中央地方裁判所2016歌合580239参照)の6回目の弁論期日(2020年11月11日)に行われた当事者新聞で証人宣誓をして証言した内容のうち、歴史的事実と異なる事実があることを確認したため、李氏を告発することになった」と明らかにした。当時、李氏は1945年6月、台湾から故国に帰る船(帰国船)に乗った時、歌謡『帰国船』を聞いたと主張したが、実際に『帰国船』の初版アルバムが出たのは1947年で、それさえもまともに興行した時期は李人権が再録音した版が発売された1949年以降のことなので、李氏の主張の事実関係が合わないという指摘だ。

これに対し、オーマイニュース市民記者の金ジョンソン氏は関連記事で、「話が人と人の間で伝えられる時は、途中で歪曲される場合が多い」とし、1999年5月24日付の京郷新聞の記事内容を根拠に、金所長の主張に誤りがあることを主張した。

金氏が言及した京郷新聞の記事は、年中企画「大衆とスター『流行』を歌う」記事に付いているボックス記事「70年代テレビ拡散、ビデオ歌手時代へ:韓国大衆音楽の流れ」をいう。同記事は歌謡評論家イム・ジンモ氏を引用して「現代的意味の所属事務所とマネージャーを備えた最初の大衆スターはイ・ナンヨンで35年『木浦の涙』を発表し爆発的な人気を集めた。その後、キム・ジョングの『涙に濡れた豆満江』(36年)、ソン・ソクボンの『帰国船』(45年)、賢人の『強めよクムスンア』等が人気トロットとして30~50年代を風靡した」と伝えた。

1999年5月24日付の京郷新聞記事年中企画「大衆とスター『流行』を歌う」の
付属記事「70年代テレビ拡散、ビデオ歌手時代へ:韓国大衆音楽の流れ」の内容
歌謡評論家イム・ジンモ氏を引用した記事では、
ソン・ソクボン氏が1945年歌謡『帰国船』を歌ったと紹介
(キャプチャー=ネイバーニュースライブラリー)

金氏は続いて「音楽評論家ソン・ソンウォンの『私達が本当に知っておくべき私達大衆歌謡』は歌手イ・イングォンがイ・ジェホ作曲、ソン・ロウォン作詞の『帰国船』を1946年に歌ったとし、『この歌を舞台で歌ったのはソン・ソクボンが先だが、レコード録音はイ・イングォンがソウルレコード会社で行った』と説明する」と付け加えた。音楽評論家達の説明を聞いてみると、1945年にソン・ソクボン氏が歌ったという事実が確認され、台湾から故国に帰る船の中で歌謡「帰国船」を聞いたという李氏の主張が虚偽とは考えられないというのがキム氏の指摘だ。

しかし、これは非常に偏狭な分析と言わざるを得ない。

金氏も指摘したように、話が人と人の間で伝わる時は、途中で歪曲される場合が多いからだ。音楽評論家林珍莫(イム・ジンモ)氏が「ソン・ソクボンが1945年に『帰国船』を歌った」と言ったからといって、それがまさに事実だとは断定できないからだ。

もし1946年5月、台湾から上がった船で「帰国船」を聞いたという李氏の主張が真実であり、「この歌(『帰国船』)を舞台で歌ったのは、
ソン・ソクボンが先」という音楽評論家
ソン・ソンウォン君の主張も本当なら、李さんは帰国船の中に設けられたソン・ソクボンの舞台で「帰国船」を聞いたことになる。

実は、李氏が帰国船で歌謡<帰国船>を聞いたかどうかを問うのは意味がないと言える。「被害者法」の規定に基づき、「日本軍慰安婦被害者」に登録され、国家から様々な支援を受けた李氏に対し、「あなたの証言内容がなぜ変わってきたのか説明してほしい」と要求することができる。これは納税者である韓国としては準公人に該当する李氏にできる当然の権利だ。

韓国挺身隊問題対策協議会・韓国挺身隊研究所
「強制連行された朝鮮人軍慰安婦ら」証言集第1巻
には、李容洙(イ・ヨンス)氏の証言が載っている。
該当部分の内容を見ると、イ容疑者は
「ある男から赤いワンピースと革靴を受け取り、
幼い気持ちでその男についていき、台湾に到着してみると、
私を連れて行ったその男が慰安所の主人だった」
という趣旨で証言した。(出典=教保文庫)

李さんは1992年、KBSの特集番組に出演し、「その時は16歳なのに、裸で着ることもできず、食べることもできないのに、どんな人かワンピースと靴を持ってきてくれました。それを渡しながら『行こう』と、それで(それで)、それをもらって、その時はそうだとも知らずに『いいね』とついていった」と証言した。1994年に出版された『強制連行された朝鮮人軍慰安婦達』(韓国挺身隊問題対策協議会・韓国挺身隊研究所)第1巻でも、李氏は同じ趣旨の主張を繰り返す。

しかし、李氏は突然、ある時点以降、自分の主張を完全に別のものに変えた。「真夜中に日本軍兵士達が自宅に押し入って背中にとがったものを当てて口を塞いで強制的に連行した」(07年米下院「日本軍慰安婦」聴聞会での李容洙(イ・ヨンス)氏の証言内容を参照)等がまさにそれだ。

犯罪捜査においても陳述者の陳述が引き続き変われば、当該陳述の信憑性はないと考える。それでもあえて挙げるなら、最初の供述が事実に近いとみなす。

「慰安婦」または「挺身隊」になった経緯に関する李容疑者の最初の供述は、「赤いワンピースと革靴を受け取り、幼心に『いいね』とついて行った」ということだ。この供述は事件が起きた時点(1943年頃)に最も近い時期に行われたもので、当時、李氏の年齢は60代だった。

2020年5月、李氏が大邱で初の記者会見を行った直後、韓京姫(ハン・ギョンヒ)正義記憶連帯事務総長は「李氏が年を取って記憶上の歪曲が発生して起こったハプニング」という趣旨で、李氏の主張に反対の意見を述べた事実がある。これに対して李氏は、2度目の記者会見を開き、自分の記憶力に全く問題がないことを誇示した。90代になった今も記憶力が健全だが、60代だった当時の李氏の記憶力は、どれほど正常だっただろうか

オーマイニュースの市民記者キム氏は、自身の記事でこの様な問題点は一切取り上げず、過去の記事等を引用して「帰国船」が初めて呼ばれるようになった時点だけに集中している。本当に重要な点はそうではなく、李氏の「証言変更」問題だ。その夜中に日本軍兵士達に凶器で脅迫され連行されたが、一種の「トラウマ」が生じていないはずがなく、そんな記憶は長い歳月が経っても変わらない。にもかかわらず、李氏は自分の証言内容を変更している。記者なら当然この部分を執拗に掘り下げるべきではないだろうか。

「金記者、一緒に手を取り合って李容洙(イ・ヨンス)さんのところに行って証言を変える理由が何なのか、李さんに聞いてみましょう。

パク・スンジョン記者francis@pennmike.com

©ペンアンドマイク出典明記した転載・再配布は歓迎します
パク・スンジョン記者

ひと言

1.場の支配でマウントすることで形作られる韓国人社会

 「場の支配」と言う言葉がある。取り敢えず、何でも良いから吠え続けて、その場でマウントを盗る行為のことである。
 その行動の特徴は、主張明確、論拠不明確の状態を隠すかの如く言葉を捲し立て、時間を消費する行動となることだ。
 この記事を書いた朴記者に指摘された記事を自分も読んだが、長々と、「『帰国船』の指摘は誤りだ」との主張は明確に、その論拠は、音楽評論家の書いた論評であった。
 もう一年程劣化したテレビ番組にへきへきし、テレビを視なく成ったので、聴かなくなった「金慶珠(キム・キョンジュ)東海大教授」の発言を聴く時の感覚を味あわせて頂いた。韓国はこの様にして実際の社会が回っているのですね。

2.「帰国船を聴いた」この偽証程度で起訴は無い

 偽証罪は、犯罪構成要件を満たしても可罰的違法性が無い限り、初犯で起訴有罪と手続きを進める事は殆んど無いものと推察します。
 特別法定の審理の可否に大きく影響を与えることであり、それを捻じ曲げる意図でした革新的証言としてしたものならば、「レコードを聴いた」程度のことは、記憶違いで済む話しである。10年も経つと人は記憶の短絡接続だって起きるし、周囲の人間の吹き込みによっても記憶が作り変えられることだって在るものです。
 音楽環境は、円盤状の「レコード盤」の登場で大衆文化を創りましたが、
当初はEP方式だったっけ?、レコードの溝の上の貼りが上下動信号を拾い、それを振動板に伝え、お大きなラツパ型の共鳴管で聴覚的に必要な音を空気振動に変えて聴く「蓄音機」で始まった。
 確かに、当時も、ラジオは在ったので、真空管や「カーボンマイク」が在り、その音を電気的に大きくすることは可能だったが、レコード針の動きを電気信号に直接変えて、電気信号を増幅させる方式のポータブルレコードが出るのは、また後のことである。
 確かに、調べて試ると、主だった旅客船では、蓄音機を置いてはいた様なので、李容洙(イ・ヨンス)氏が、「レコードを聴いた」可能性は在る。
 しかし、実際の帰国船が、旅客船で在った可能性はどの程度のものだっただろうか、証言の真偽を確かめる上でも、李容洙(イ・ヨンス)氏が初めて、蓄音機で音楽を聴いた時の、曲や場面を訪ねてみたいところですね。
 そして、帰国時の想い出を洗いざらい証言頂くならば、通常は話しの信憑性も高まるというものです。帰国船で「帰国船」しか聴かなかった。憶えてないのなら、何故、それだけ憶えているのかと言うことに成ります。
 「帰国船」しか憶えていないなら、その聴こえ方、日に何度程度聴いたとかも、帰国時の他の記憶と共に語れるものと思います。

 李容洙(イ・ヨンス)氏は帰国時も曖昧ですし、李容洙(イ・ヨンス)氏が若い時に撮った若々しい写真は、台湾に着いた直後で18歳だったとの証言もしています。まあ、その証言を著した著者の猛言かもですが、整合性が全く無いことが、彼女の特徴なのです。
 自分には厳格な時系列を把握出来る時間認識が働かない脳内活動のみで、「場の支配」を伝手に、生きて来た方なのかと思っています。
 言ったことに事実は略存在しない。そういう御人だと自分は視ています。
 写真に記録された表情からは、「移送途中で暴行された」トラウマは視えません。しかも初仕事が18歳だったなら、一体、彼女は何時稼業に就き、何時迄続けたのでしょうか?
 金氏の根拠とした文献が証拠と成るとしたら、
クォン・ジュリア氏の著作「慰安婦おばあさんの血涙、決して忘れてはいけません」 慰安婦被害者のおばあさん5人の人生記録 「Remember Her日本軍性奴隷制被害者」出版も、証拠でしょう?
 以下のTWの画像ALT内に和訳を入れています。

 女性に失礼ながら、少女像のモデルとの印象ギャップも在るのかもしれませんが、李容洙(イ・ヨンス)さんの写真は、18歳より結構大人に視えます。自分には20歳未満には視えません。それにこの顔はちゃんと食べてますよね。着る物も無いのに何を食べて居たのか、自分が兄弟を育てた様なものと言っていたのだから、育ち盛りの兄弟を思うと喰うものも苦労した筈にも想えます。その辺りも是非、聴いて欲しいものです。


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