この記事は、韓国、©ペンアンドマイクの以下の2020.10.12掲載の過去記事をPapago翻訳したものです。
和訳本文
《要旨》
《写真》
ひと言
これから、状況は逆転してしまう。そして、躙り寄りにより、1年延長が議会で採決され、今に至る。
その期限に向けて、コリア協議会側は、「芸術」「平和」を言葉の上では並べ謳いながら、その本質は『反日主張』を隠さなく成った。
恐らくは、本人等は、今居る立ち位置から、前しか視えていないのだろう。過去からのやり口すらもう既に憶えもいないのかもしれない。「場の支配」の為に言葉を弄した結果を足掛りに更なる躙り寄りを目指している。
形として今在る既成事実を前にした、再延長なり永久設置を目指す姿勢は何等の制限も無い自由度で動いている所が凄いところだ。
ドイツ側から見たら、面倒を避けたかった。それ故の経過処置だったことだろう。是非とも、その面倒臭さを素のまま晒して頂ければ良いのかと思う。それしか無いし、それでどう判断するかはドイツ側次第だ。
目に見える構図は「団体の対日攻撃姿勢」と「それへの協力確保に向けての圧力」、これ一つで済む判断するならば、延長先送りも在るのかもしれない。しかし、躙り寄りは強くなることはここ1年で理解出来たものと思う。
活動の源は「今の韓国人の感情」という実体に過ぎず、決して史実を基にしたものではない。
感情を基準に行動するとなると、ずっと時の感情に寄添う覚悟が必要だ。それを延々と続けるつもりなら、ドイツ側はコリア協議会に寛容に接してくれることだろう。
設置した量産工芸品の銅像には別の意味が在るとして署名活動に入っているが、あれを意義深く見て貰えるか厄介に思うかはドイツ側次第だ。
少なくとも同じ手口を何度も味わった日本人の自分は意義深いとは感じなかった。
ドイツ人から見た時、韓国は決して戦勝国ではない。ドイツに対するオーストリア等と同じ程度の日本の隣地としか見れないことだろう。頑張って試ることだ。己のやり方で。後悔しない様に。
ハッキリと言っておく、これは日本とドイツという国家と民間団体の問題ではない。そこに韓国という国家も当事者なのだ。無関係を装うなら、韓国はそう言う存在としてドイツは扱う。関与すればそう言う国家だとして対応する。国家としての対応は一つしか無い。それが今の政権で出来なければ、もう韓国の国際的位置付けは、全く失くなるだろう。既存政治家の政党「国民の力」では無理な様に、今は視えてしまう。