深読みで楽しむDetroit: Become Human (2) 大切なことはみんなマジキチ宣教師が教えてくれた

はじめに
 本記事はDetroit: Become Humanを最低でも1度はクリアした人向けの、本編ネタバレ満載の内容となっています。さらには本編の内容を直接解説した部分が3割くらい、残りの7割が深読みと邪推とこじつけで構成されています。以上の点をご了承の上、お読みください。

【「色あふれる世界」 シノプシス】 マーカスは主人であるカールのため、注文済みの画材を取りに繁華街グリークタウンにあるベリーニ画材店を訪れる。品物を引き取って帰宅のためにバス停に向かう途中、反アンドロイドデモを行なっている集団に難癖をつけられてしまうが、警官の介入で服が乱れるだけで済んだ。バス停で次のバスを待ち、マーカスは立ち乗りオンリーの「アンドロイド用スペース」に乗り込んで広場を後にするのだった。

十人十色
 「色あふれる世界」と訳されている本章のタイトル「Shades of Color」ですが、shades of gray(直訳すると「さまざまな色合いの灰色」、慣用句として「世の中の人の考え方はさまざまである、十人十色」)と今回の買い物である画材=色とりどりの色彩(color)の掛詞になっているように見えます。短いシークエンスですが、アンドロイドに対する人々のさまざまな感情に出会えるという意味では、まさに十人十色を実感できる章ですね。
 スタート地点の公園では、アンドロイドは比較的人間と仲良くしています。学校帰りの子どもは家のアンドロイドに飛びつきますし、ベンチで休憩していたおじいさんはアンドロイドの「ローズ」に対して「dear(英)/ chérie(仏)」と呼びかけます。これは家族などの身内に対し親しみを持って声をかける呼び方で、「おまえさん」くらいのニュアンスでしょうか。
 あと、ラルフの同型機がいっぱいいます。二週目以降、ニヤッとしてしまうポイントです(このあと出てくる画材店のアンドロイドも、ジェリーと同じ顔ですね)。ともあれ、ここまでは割と平和な世界です。ある意味、楽園です。

今後を暗示する3分間の辻説法
 雲行きが怪しくなってくるのは、公園の出口あたりでスポーツトレーナーのアンドロイドに偉そうにしているおじさんが出てきたあたりからです。ただこの人、他の人にもぶつかりそうになっているので、これだけならただの傍若無人で済んでしまいます。しかし、ホットドックスタンドの売り子には罵られるわ、挙句広場で説教していた福音派とみられる宣教師に悪魔呼ばわりされたあたりで、違和感が出てきた方も多いのではないでしょうか。
 アメリカでは今も福音派と呼ばれる宗教保守派が強い勢力を持っています。彼らの主張は「聖書は一言一句正確に正しいことが書かれている(ので、時代や社会に適応して解釈を変更してはならない)」という、聖書原理主義です。たとえば進化論は、聖書には「神が世界を6日間で創造し、1日休んだ」と書いてあるのと矛盾するので間違っている(聖書が正しくて、ダーウィンは間違っている)という主張です。近年はこうした聖書無謬主義から派生したポピュリスト宣教師がしばしば人々を煽ったりしているわけですが、この宣教師もその類のようです。
 L1で眺めると、宣教師が難癖をつけてきます。趣旨は「悪魔はお前を依代にして現れる」「お前がデトロイトを滅ぼす」の2点です。後者はうん、せやな。前者は人間を誘惑し、堕落させるサタンのイメージが反映されています。
 約3分に渡る説教のポイントはいくつかありますが、整理すると以下の二種類です。

 1)「アンドロイドに依存することで人類は堕落した」「(人形である)アンドロイドを大切にすることは、偶像崇拝である」というアンドロイド=悪魔(サタン)説
 2)「人間がアンドロイドを作ったところで、真の創造主である神になることはできない」「最後の審判の日は近い」という人類の罪への警鐘

 1についてはまあ、気に入らないものは悪魔って言っとけばいいから楽だな!って感じなのですが、ポイントは2つ目。「人が自分に似せてアンドロイドを作ることは、神が自分に似せて人を作ったことのちゃっちぃ真似事であり、身の程をわきまえない罪である」ということ。うん、言ったね。私これ試験に出すって言ったよね!試験まだ終わりじゃないからね!
 この宣教師さんは、テクノロジー至上主義に陥って倫理観を失ってしまった科学者(と一般の人々)に警鐘を鳴らしているわけです。それ自体はまあ、悪くないかなと思うんですけど、排他的になっちゃったら終わりよなーとか、現在のアメリカ大統領を見ながら思うのでした(彼は福音派の支持を得るために、ちょいちょい過激な政策を採用しています)。

 ところで、人間とアンドロイドは何がそんなに違うのでしょうか、福音主義的に。
 端的にいうと、「魂の有無」です(演説中にも「アンドロイドには魂がない」という趣旨のセリフがあります)。じゃあ人間は何で魂があるのか。それは「神が塵からアダムを作った時に、鼻から魂を吹き入れた」からです。神は他の生き物にも人間にも魂を吹き込んだけれども、あくまで被造物にすぎない人間には他者に魂を吹き込む能力がない、だから人間から作られたアンドロイドは生き物ではなく、あくまで機械、ということになります。

 多くの文化において、個人の構成要素は3つあると言われています。一つは肉体と、それに付随する生命力。物理的な命と言ってもいいかもしれません。二つ目は、霊力。気力とかMPのような、物理的ではないけれども人を動かす目に見えない動力。最後の一つが、その人を個たらしめる魂です。全く同じ体を持っていても、魂が違えばそれは別の個人。逆に、いわゆる「入れ替わりもの」は生命力・霊力は元のまま、魂が入れ替わることによって成立する、というわけです(魂が入れ替わってもそれに付随して個=人格が入れ替わらなかったら、何も起きないからね)。
 もしアンドロイドに魂がないとしたら、(ちょいちょい破壊されたダメコナーが言うように)アンドロイドはぽんぽん入れ替えても何の影響もない機械なわけです。アンドロイドに命はあるのか、という問いを噛み砕くと、「アンドロイドには個を個たらしめる魂があるのか、代替不能の世界で一つだけの存在になれるのか」という問いになっていきます。この辺また試験に出しときますね。
 
労働者の権利を求める失業者たち
 さて、ベリーニ画材店でジェリー似の店員さんから絵の具を受け取るやりとりですが、日本語でも多少反映されている通り、基本は体言止め(名詞+過去分詞)のビジネス的というか、機械的なやりとりです。この場面以外ではそこまで機械的なやりとりが多いわけではないので、目を合わせただけでのお支払い完了も含めて、「彼らがアンドロイドである(人間とはちょっと違う)」という演出の側面が強いのでしょう。
 絵の具を受け取って広場の真ん中を通って帰ろうとすると、デモ隊に捕まります。デモ隊といっても10人かそこらがシュプレヒコールを上げている程度のものですが、三度の飯よりデモが好きなフランスでは稀によくある現象です(ショップの前よりは、官庁の前とかでよく見るかな)。彼らが求めているのは「労働者の権利」「仕事(働く権利)」ですが、そもそもアンドロイドは人間が嫌がる仕事の代替要員として作られたのだから皮肉なものです。このあたり、人手不足の時に散々移民を入れ、安い給料で自分たちがやりたくない仕事を押し付けておきながら、いまさら「移民のせいで職を失った」と主張する各国の極右に対する皮肉なのかもしれません。
 一連のやりとりのなかで、マーカスに目をつけたデモ参加者が「アンドロイド様のお出ましだぜ」というシーン。ここの「アンドロイド」を指す表現は英語ではtin can(空き缶)、フランス語ではferraille(くず鉄)となっています。日本語訳よりももっとストレートに、相手をゴミクズと罵る表現ですね。他の多くの人がアンドロイドを罵る時に使う「プラスチック云々」という表現をしないのは、その程度の理解(認知)さえ与えてやらんぞという意思表示なのかもしれません。
 デモ隊のメンバーは無抵抗なマーカスに暴行を加えますが、個人的にはこのシーン、「逃げ場のない満員電車で痴漢することで自らの支配欲を満足させる、ストレスの溜まった人たち」と被って見えてしまいました。人間、自分に自信がなくなると、自分より弱いものを見つけて力を確信するほかに自我が保てない、というところがあるようです。反撃が禁止されていることは別として、アンドロイドは正常にプログラムに従って生活する限りでは、そういう悩みもないのかもしれません。(ここ試験に出ます)
 
ジム・クロウ法リターンズ
 さて、警官の介入で難を逃れたマーカス。バスに乗ろうとすると、目の前に「アンドロイド専用スペース」の設置されたバスが。これ、完全にジム・クロウ法(人種分離法)じゃないですか!
 ジム・クロウ法というのは一つの法律のことではなく、人種分離を定めた各州の法律をまとめて呼ぶ通称のようなものです。ジム・クロウというのも人種差別的なコメディの役名から来ているので、日本語にするなら「ちびくろサンボ法」と呼ぶのが割と近いかもしれません。これは白人と黒人(正確には、一滴でも有色人種の血が混じった者)は公共空間では相席してはいけないという法律で、奴隷解放後も主にアメリカ南部で長く存在していたのです。バスはもちろん、ホテルやレストラン、トイレなども全て、人種によって分離されました。
 こうした差別をなくそうという大々的なムーブメントが、公民権運動です。それは、まさに公営バスの座席で始まりました。南部のアラバマ州モントゴメリー市に住むローザ・パークスという女性が、バスの中で白人に席をゆずることを断って逮捕されたことがきっかけで、市内の黒人はもちろん有色人種、白人など多くの市民が1年間、バスをボイコットしたのです。
 「人種」によって奴隷になり、「白人」に殴られ、バスは専用スペースで立ち乗りを強いられる。「それじゃこっから奴隷解放と公民権運動の話やりますんで」と、今後の展開を音量MAXで叫んでいるような一連の流れで、話が終わるのでした。 って、もう完全に終盤までの展開をネタバレしとるやないかーい!

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