深読みで楽しむDetroit: Become Human (9) アンドロイド法と労働経済学


はじめに
 本記事はDetroit: Become Humanを最低でも1度はクリアした人向けの、本編ネタバレ満載の内容となっています。さらには本編の内容を直接解説した部分が3割くらい、残りの7割が深読みと邪推とこじつけで構成されています。以上の点をご了承の上、お読みください。

【「あてどなく」シノプシス】
 カーラとアリスを乗せたバスは終点に到着し、管理係から下車を促される。氷雨の降る中、一夜の宿を探す二人は、置き去りにされた廃車、荒れ放題の廃屋、快適だがアンドロイドお断りのモーテルを発見する。

「アンドロイド法」と「プロ・ライフ」
 カーラが一夜の宿を探す間、アンドロイド達は臨時駐機場で待機していたり、清掃作業に従事していたりと、雨にも関わらず過酷な環境に置かれています。また、過去の記事でもジム・クロウ法について触れましたが、ここでも再びモーテルで「アンドロイドお断り」の表示が登場します。ところで、アンドロイド法がなぜ作られなければなかったか、考えたことはありますか?
 アンドロイドはもともと工業製品ですから、特に法律がない場合は法人格を持つことはありません。平たくいうと、法律上は人間とみなされないということです。私たちの身近な例で言えば、例えば犬や猫などの動物は飼い主がどれだけ家族のように扱っていて、生き物であっても、法律上は器物として扱われます。
 同様のことがジム・クロウ法にも言えます。そもそも、奴隷解放前には黒人奴隷は家畜と同じ扱いであり、法律上は「器物」です。しかし奴隷貿易が廃止され、黒人が自由な市民になったことを受けて、自由なはずの黒人を排除するために一連の法律が作られていったわけです。
 現在のところ、分かっている範囲のアンドロイド法は「武器の所持を禁止する」「LEDやユニフォームを装着する」といった、見た目で人間とアンドロイドを判別可能にするものだけです。もし、アンドロイド法の中にアンドロイドの「自由」を侵害する条文があったとしたら、そこにはアンドロイドの自由がなんらかの形で主張された過去事例がなければならない、ということになります。
 もちろん、アンドロイドの自由について論じられたことはかつてなく、当然ながらアンドロイド法にもアンドロイドの自由を制限・剥奪する内容はない、というパターンもあり得ます。ただ、その場合はなぜアンドロイドがカナダに亡命しようとするかが不明瞭になってしまうのですよね。だってアメリカのアンドロイド法でアンドロイドの自由が制限されてなかったとしたら、アンドロイド法のないカナダに行ったって制服着なくていいくらいしか違いは生まれないわけですよ。ここはなんとなく、公民権運動をベースに話を作った結果、作り込みから漏れちゃった結果の矛盾じゃないかなという気がするんですが、仮にアンドロイド法がアンドロイドの自由を剥奪する条項があったら、背景には何があったんでしょうか。
 一つのヒントになるのが、現在アメリカで勢いを増しつつある、「プロ・ライフ(生命尊重)」という勢力です。この言葉は基本的には「中絶関連において、赤ちゃんの命を守ることを基本路線に考える(=中絶制限・禁止)主義」を指します。対立する概念は「プロ・チョイス(選択尊重:女性が自分の体を管理するリプロダクティブライツの一環として、中絶をするか否かを選択できるようにすべきという考え方)」です。
 基本的に、出産前の赤ちゃんは法律上は生命と認められていません。例えば、妊娠中の女性が交通事故で亡くなった場合、事故を起こした人が過失致死を問われるのは女性に対してのみで、「お腹の赤ちゃんも死んだから二人分の過失致死!」ということにはなりません。ところが、つい先日、アメリカでは「妊婦が喧嘩を売ったら相手に銃を発砲され、お腹の赤ちゃんが死んでしまったので『母親が』自分の赤ちゃんを殺した殺人罪で起訴される(のちに取り下げ)」という事件が起きました。この事件が起きたアラバマ州は、直前に「胎児の鼓動が確認されたら中絶は行ってはならない、行った医師は殺人罪と同等の犯罪を犯したとみなす」という法律を可決しています
 もしかすると、こうしたプロ・ライフ派のような主張、あるいは一部の環境保護団体の「知的な動物(クジラなど)を殺害するのは残酷だ」といった主張のように、「知的な存在であるアンドロイドに人権を与えないのはおかしい」という裁判を起こした人がいたのかもしれません。そして、その裁判に危機感を感じた人たちが、アンドロイドの自由を制限する方向でアンドロイド法を整備した、という可能性はあります(だとしたら、サイバーライフと密接な関係を持つと言われているウォーレン大統領は、アンドロイド法の成立に関わっているかもしれませんね)。
 ただ、これにもまだ見落としがあって、アメリカって基本的に州ごとに法律が全然違うんですよね(なので、上記のアラバマ州の中絶禁止法は、たとえばカリフォルニア州では適用されません)。なんでことさらカナダなのか、っていうのが若干ピンと来ないことは否定できません。もしかしたらサイバーライフ本社のあるデトロイトを抱え、アンドロイド密度の高いミシガン州が、ことさら厳しいアンドロイド法を持っている、というだけのことなのかもしれませんが。

アンドロイドは人の仕事を奪うのか
 さて、二人が降り立った場所は、デトロイトの東端にあるカムデン地区です(だからモーテルの名前がEastern Motelなんですね)。トッドの家からは15キロくらいのものでしょうか。現状だと、まだまだ空き地の多い住宅地という感じです。
 カーラは奥のバス停の近くで、ゴミ収集担当アンドロイドからズラトコの情報を受け取ります。この後のことを考えると、こいつ本当にゴミ収集係だったのかな、と疑問ですが。
 個人的にちょっと面白いなと思うのは、この時間に働いているのって、意外と人間が多いんですね(バス管理者、コンビニ店番、モーテルオーナー)。コンビニの店番が店主である可能性もありますが(フランスでは、基本的に夜や週末に空いている近所の雑貨・食料品店の店主は移民のオーナーです。日曜日が安息日ではないので、キリスト教徒が働かない日にも働くし、収入のために夜遅くまで店を開けるのです)、その場合はバス管理者を除き、二人とも自営業者ということになります。モーテルオーナーはアンドロイド嫌いっぽいですから自分で働いているのも不思議ではないんですが、コンビニはそういう信条でもないのなら、10万円ぐらいで投げ売りされてるカーラと同じモデルに店員させてもいいんじゃないかな、という気がします。バス管理者はまあ、管理者ということで人間なんでしょう。
 こうしてみていくと、マーカス編の序盤その他で、「アンドロイドが人間の職を奪う」と言われていますが、人間がやっている仕事というのは結構あります。実際にアンドロイドが導入されると、労働市場にはどのようなことがおこるのでしょうか。

 フランスは、19世紀の末ごろから繰り返し移民の波を受け入れています。最初は19世紀末〜20世紀初めのイタリア系移民(経済移民)。ついでアルメニア(トルコによる虐殺を原因とする政治移民)、ポルトガル(経済移民)、スペイン(フランコ独裁政権を原因とする政治移民)と、ヨーロッパ系の移民が続きます。第二次大戦後になると、復興のためにアフリカ(特に海外県であったアルジェリアや、地理的に近かった北アフリカ)からの経済移民が導入され、最後にインドシナ戦争を逃れた東南アジアの旧植民地(ベトナム、ラオス、カンボジア)からの政治移民が流入しました。こうした大きな移民の流れに加えて、細かな移民もいくらかありますが、基本的には経済移民と政治移民(難民)が交互に流入しているのがフランスの移民史の一つの特徴です。
 こうして入ってきた移民は、多くが非熟練労働者として「賃金が安く、仕事がキツく、従来のフランス人が着こうとしない職業」のニーズを埋めていきました。決して、彼らの能力が低かったわけではありません。比較的新しい世代の難民であるインドシナ移民においては、多くが自国でエリートであったにも関わらず、例えばベトナムで大学教授だった人が掃除夫にしかなれないなどのケースが多くありました。また、先ほど触れたような「ワンオペで、先住フランス人なら店を閉めてしまうような週末や遅い時間まで店を開く」ことで、人々の生活を支えているのも多くが移民の店主です。
 さらに、留学生として高度な技能を身につけた人々が、よりよい労働条件を求めてフランスにとどまるケースも多くみられます。典型的なのが医療関係者で、特に医師は資格を持っているだけで帰化の条件が満たされることもあり、出身国に戻らずフランスで夜勤医師など、こちらもやや条件が厳しい職に就くことが少なくありません。これがいわゆる頭脳流出の一形態として、途上国の医療環境をより悪化させていることも指摘されています。
 こうした例と、アンドロイドが当初、「人間の嫌がる屋外作業などに従事させるために作られた」という設定を考えると、アンドロイドは本来、雇用のミスマッチを埋める存在であって、必ずしも人から仕事を奪いつくすとは言えないように思います。
 
 もう一つ、参考になるのが、特に製造業における拠点の海外移転です。移民というのは、たとえアメリカという比較的移民が流入しやすい国でも、物理的な移動、(不法でなければ)行政的な手続きという形のない障壁が存在します。しかし、拠点自体を海外に移してしまえば、輸送費だけで安価な労働力を活用することができます。
 この視点に立つと、そもそも雇用流出は経済的合理性の視点から「先進国の人件費」と「途上国の人件費+輸送費」が均衡するまで継続するものです。実際に、「オランダで取れた海老の殻剥きをモロッコに外注する」という事例もあります。移民が入ってこなかったところで(=アンドロイドが発明されなかったところで)雇用の流出は発生するわけです。
 しかし、雇用が海外に流出するケースと、(移民であれアンドロイドであれ)国内に維持されるケースには、大きな違いがあります。それは「移民/アンドロイドであれば、外貨流出が起きない(海外への賃金の支払いが発生しない、お金が国内で回る)」ということです。つまり、国・地域社会全体の総資産は増加するわけです。
 ただし、資本家は移民を所有することはできません。アンドロイドなら所有できます。そして、アンドロイド1体を100万円程度(作品内でのハイエンドアンドロイドの価格よりちょい上)、耐用年数を短めに三年と考えて計算しても、人件費は「年33万」にとどまることになります。もし、1日24時間(=8時間シフトx3人分)働かせることができるなら、人間の労働者は「年11万円」まで人件費を下げなければ労働力としてのアンドロイドに対抗できないことになります(そこに社会保険料その他の費用が入りますから、おそらく年収そのものは8万円以下になると思われます)。
 企業や資本家がアンドロイドによって人件費を圧縮し、利益率を高めることができた場合、その利益が失業者に再分配されれば、社会全体の生産性と経済成長は向上するはずです(お金があれば、空いた時間を何かの生産活動に使うことができますからね)。結局のところ、アンドロイドが問題なのではなく、富の再分配が機能していないことが一番の問題なのです。こうした部分を政策的に手当てしようというのが修正資本主義で、たとえば世界恐慌後のニューディール政策は公共事業により社会にお金を循環させることで経済成長をうながしましたし、フォードは当時高級品だった車を買えるだけの給与を自社の労働者に与えることで市場を拡大し、自動車文化を生み出しました。当時に匹敵する政策・企業戦略が行われていないことが、作品内における社会問題のそもそもの原因なのでしょう。
 
 18世紀まで、富の源泉は不動産だと考えられていました。したがって、税(再分配の財源)は不動産にのみかけられるものでした。それが変わったのはアダム・スミスが「諸国民の富」において、労働力を富の源泉と指摘したのがきっかけです。これにより、所得税という概念が生まれます。フランスでは、俗に前者を旧税、後者を新税とよび、国税は新税、地方税は旧税という住み分けが行われています。
 しかし、この制度にも限界がきているというのは、数年前に流行したピケティの著作でも指摘された通りです。現代においてもっとも大きな富の源泉は動産であり、運用による資産の拡大が労働による資産の蓄積よりも効率的であるために、資産(動産)を持つものと持たないものの格差が広がり続けるというのが、ピケティの主張でした。
 実は、フランスにはこの格差を埋めるための税制も存在したりしなかったりしています。「資産連帯税」というもので、一定以上の評価額の資産(だいたい1億円とかそれ以上、時期によってコロコロ変わる)を持つ人は、0.5%とかそれくらいの金額を国に支払うという制度です。存在したりしなかったりというのは、政権が変わるたびに撤廃されたり再導入されたりするからです(その度に課税最低額とか税率とかも変わる)。
 税制というのは、国が目指す社会のあり方に直結しています。自分がどんな社会で生きていきたいのか、どんな国だったら喜んで税金を払えるのか、それを考えることはとても大切です。

 だから選挙行こうね!

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